はらくだしのチャイルドネス

 河合さんは子供の時に、お父さんに物語を読み聞かせしてもらっていて、「・・は、ねむってしまいした。ぐーぐー・・」というようなくだりになって、お父さんがホントにねむってしまわないかだんだん心配になり、お父さんの顔を見上げ「おとうさん、おとうさん」と声をかけたそうだ。
 ちゃんとノリは外さずおとうさんは「あ、うっかりねてしまうとこだった」とこたえたという。

 まえから「おさなごころ」とか「子供という象徴 / メリークリスマス・ミスターローレンス」のこととか、時々考えていたが、抽象的でだいたい論理的じゃないことを伝えることはむずかしいことだ。まして結論をすっきりと提出できて、採点できる世界のものならこれはまちがいなく落第だ。

 河合隼雄さんも説明するのは察するに苦労されているように感じる。人の心をあつかうという仕事には、海路図のない旅のようなもの、という面があるのだろう。だから駄洒落も冗談も、長旅の、相手のみならず自分を守るものなのだ。 ユーモアとは「自分と世界をみて笑う」ほどのものなのだから。
b0019960_13591639.jpg
 谷川俊太郎さんらとの「声の力」という共著の本のなか、いつものように冗談、駄洒落まじりの独特な語りでの講演記録の章を読んでいて、こういう話を自分のものとして聞くには、聞き手にも敏感な何かが必要だと感じる。タメになる話を聞いて、ノートに取って家に帰ってから参考にしようとかいう頭につめこむ勉強ではたぶんあまり意味を持たないのだろう。

 「ファンタジーによって現実から逃げているのではない。ファンタジーという世界からこの世を見るということが、じつにいろいろなことをわれわれに考えさせてくれるのだ」
 ということから、チャイルドネス「こども性」のパワーというような話が出てくる。

 そこで「だいくとおにろく」というはなしが紹介される。
 激流に橋をかける仕事を頼まれ困っていた大工が、鬼に「オレが架けてやる」と言われてみごとに架けてもらう。
 だが鬼は、ひきかえに「おまえの目玉をもらう」という。ただし「オレの名前が言えたらゆるしてやろう」ともいう。
 大工は山へにげてあちこちさまよい思案する。
 すると、ふととおくのほうからこんな子守歌が聞こえた。

 「はやく おにろくぁ めだまぁ もってこばぁ ええなぁ」

 それで大工は鬼のところにもどって鬼の名前を言ってやったそうだ。

 河合さんは、この流れのきつい場所に「橋を架ける」という話には、日頃のじぶんたちの仕事のことを思わせたという。

 夫婦とか、親子、上司とのあいだとか、いろんな関係などの修復には「どういう橋をかけるか」という技術、テクニックが必要のようだが、それでうまく行けば問題はたいしたことではないという。
 が、橋をかけようにも急流が流れているようなとき、「ああしなさい」「こうしてみては」では、なかなか橋はかからない、技術では架けられない橋もあるのだろう。
 「これから仲良くしてみます」と言った直後にドアの外で喧嘩していたりするという(笑)。

 で、どうするかというと「鬼」に頼むのだ。

 しかし橋はかかるがこれには後がこわくて「目玉をとられ」そうになったりする。
 そこで「子守歌というのがすごい知恵を持ってはっと聞こえてくる。」と河合さんはいう。

 「わたしの力でもないし、人の力でもないんだけれど、もういっぺんわれれが、子どもの声というか、子どもの歌というか、そういうものを聞く耳を持ってきたら、うまく橋がかかるんではないかなと私は思っています」
 そんな、人のなかの「チャイルドネス」というもの、「そういうものの声は聞こえないだろうか、という仕事をしているのではないか」と思っているそうだ。

 「他力」という言葉があるが、自力の技術でなんとかできると踏んでいるあいだは、まだ激流に架ける橋ではないというだけなのかもしれない。
 流れがきつい場所に出会えば、いつか鬼との遭遇、鬼に頼むときが必要なのかもしれない。しかしまたそれは「目玉をとられる」リスクのあるものかもしれない。
 こういう考案に答えるには、「子守歌」、チャイルドネスを聞くのがキー、、という、なんともそもそも解説しようがない講演になるのは致しかたないような気がする。

 おもえば個人間で言えるものは国家間にも通じるのだろうか。「目玉をとられる」ことをただただ警戒して策をひねり出している間は子守歌は聞こえないわけだ。
[PR]
トラックバックURL : http://past.exblog.jp/tb/3945213
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by ruthk at 2005-12-25 04:30
おはようございます。

「目玉」と「子守歌」・・・「見ること」と「聞くこと」・・・に関わってくる示唆深い、お話ですね。私も、もっとよく見つめなきゃ!と、いろいろ頭の中で構築しようとしてみるのですが、よく行き詰まってしまいます。ノイズもいっぱい入ってきて、大切な「声」を聞き逃してしまっているような・・・
Commented by past_light at 2005-12-25 21:04
ruthkさん、こんばんは。

河合さんの語りを聞いたり読んだりしていると、関西の言葉がときにうらやましく思えることがあります。
深刻さみたいなものを回避するには、ことば、音の響きとか、けっこう力があるんじゃないかと。
聞くということも聞かせる響きが左右するんでしょうね。
ノイズについてはよくわかります。
で、ぼくはノイズの向こうにあるものは確かに大事なんですが、ノイズもただ聴ければ、いいのなかあと時に思いますが、確かに難しいですね(笑)。
Commented by paraguas at 2005-12-29 10:15 x
こんにちは。
関西人の私はすごく「あいまい」な言葉の中で育ってきました。
なんとなく雰囲気でいっとこ、みたいなノリというんでしょうか、
そのものズバリを言わないのが当たり前というか。
関西弁はもともと商人の言葉ですから、相手に自分の意思を通す、
やわらかいけどオシの強い言葉なんですが、
なんせ「オチのない話はするな」というような独特な文化(笑)。
棘のある話も笑いと一緒ならすんなりと通るのかもしれません。

運を天に任せる、という言葉がありますけど、
もっと大きな、宇宙的なものに「ゆだねる」ことって大事かもしれませんね。
来年もどうぞよろしくお願いします。
Commented by past_light at 2005-12-30 01:27
paraguas さん、こんばんは。
関西ですか。 paraguas さんは。
オチのない話は東京は得意でしょうね。
落ち度のある話ならいくらでもできますが・・。(笑)

「ゆだねる」、paraguas さん、これは「愛」ですよ(笑)。

今年、お気に入りに加えていただけるような光栄!
ありがとうございました。
来年もよろしく。よいお年をお迎えください。
Commented by さすらい at 2005-12-31 10:12 x
この1年間お世話になりました。いつもすばらしいコンテンツで勉強になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。良い年を迎えられますように。ネコのコネ町も平穏に新年が迎えられますように。
Commented by past_light at 2005-12-31 12:20
さすらい さん、こちらこそ今年もお世話になりました。
よいお年をお迎えください。
また来年も変わらず楽しいお付き合いをお願いいたします。
コネ町にもたくさん幸あれ(笑)。
by past_light | 2005-12-24 18:44 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(6)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


by Past Light
プロフィールを見る
画像一覧