ロベール・ブレッソンの三本

 ■「バルタザールどこへいく」

 ロベール・ブレッソンという映画監督がいます。多分、「最近面白い映画ない」と聞かれても気軽には勧められない人の映画だ。いわゆるサービス、派手な演出、効果などは皆無、無縁の人。

 ぼくは最初にその頃一番新しい「ラルジャン」という泥棒の話を観た時、その普通なら映したくなるような場面を映さない--音だけ聴かせることによる事態状況の表現 --プロ俳優を嫌い、演技に頼らない--俳優の表情が変化しない(なのに伝わって来る感情)、手が語るカットの多い独自性。・・なんて禁欲的に美味しいところを削り取ってしまう映画作家だろうと、困惑とともに不思議な関心を持った。

 そこには楽しませてくれたり夢を見せてくれたり、 観客の眼球と感情に、すべて御馳走を詰め込んでくれる娯楽性とは、まったく大きく違うものが存在するようだ。観客が積極的に感じ取り読み取る力を要求される、言わばある種の緊張感がある。

 ブレッソンがつくるような映画には、時に観た人の人生に影響を与えかねない 1作品の衝撃がある。新しい視野、感性の発見の驚きと楽しさが精神をリフレッシュさせる。 

 映画は娯楽じゃないのか。楽しめない、解らないというものでも観なくちゃならないか? --という問いがあるとすれば、以上のようなことを答えるだろう。衰退を言われる想像力とは、こと映画に関していえば、受動的になりがちな、網膜に映る垂れ流しの映像を麻薬とするのみではなく、観客の能動的な参加があって成り立つものだろう。

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 ぼくにとっての「バルタザールどこへいく」は特に衝撃だった。
 一頭のロバが最初の飼い主から、人から人へ渡っていく過程で出逢う身勝手な人間や、また親切な人間、あるいは平凡な人間との日々の生活に関わり、淡々とドラマが進行するのだが。
 その善悪を言わないロバの目が見ていく人間世界と、そのロバの波乱万丈の生涯と運命を観ていると強く心が揺れた。
 そしてぼくは、この映画の主人公であるロバに、イエス・キリストを感じた。それは直観的なもので説明できないものだった。それは次に観た「少女ムシェット」にも繋がるものだった。
 どちらの話しも映画の上では悲劇のように見える。しかし、これは単なる悲劇ではないのだ。イエスの生涯が単なる悲劇ではないのと同じように。


 ■ブレッソンの「ジャンヌ・ダルク裁判」
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 ともかく史実に忠実、当時の裁判記録などを精密に脚本としたという話だ。
 ブレッソンには、「淡々」という言葉が浮かびつつも、人の深い感情の底に突き当たり、そして突き抜けたというような、厳しい冷たさが観終わるとあって、それはなにか人を根源的に揺り動かすようなものを持っているように感じさせる。
 常に静謐な映画なのに、心底動揺させるものだ。

 この映画が裁判記録に忠実だとすれば、ジャンヌの言葉には、それが狂気のなせるものなのか、真実の天からの啓示だったのか、誰もがどちらかを選ばねばならない。 ブレッソンは彼の主観をいっさい感じさせないようにも見える。 しかし、忠実に再現されようとしたジャンヌ像は、確かに「声」を聴いたのだ、という方にぼくは投票しようと思う。

  よく、手や足もとだけの映像での語り方がブレッソンにはあるが、この映画での、火あぶりの処刑台へと急かされる、そのジャンヌの足取りの映るシーンはたいへん素晴らしいもので、これは、それだけでブレッソンが映像作家としての孤高に位置する理由が理解されるものだ。 これはもうリュック・ベッソンの騒々しい「ジャンヌ」とは、次元の違うものだと言うほかない。



 ■「田舎司祭の日記」

 自分が不幸では人を助けたりできるものだろうか、という問いは当然のことのように思っていた。
 不幸とまでは言わずとも悩みを抱えたまま、また苦しんでいる他の人の心を助けることなど、はたしてできるのか・・・と。
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 ブレッソンの初期の映画「田舎司祭の日記」は、わりと正統的な作りでバックに音楽さえ流れる、ストーリーもかなりはっきりとした映画だったが、なんとも、じっと観ていると主人公の表情にある孤独と苦しみを、そのまま全編に充満させたように、重苦しく、しかも終わりまで救いが見出せないような映画にも思える。

 彼はある田舎の地区に派遣されている若い神父だが、ずっと体調が思わしくなく生気がない。社交的にも不器用で、彼としては誠実に接しているはずの村の人たちには、なかなか好かれないし、うとましくさえ思われている。
 彼の表情に明るさがなく、いつも思索しているように悲し気で苦し気なその表情を見れば、同情したくてもそれもできかねるところさえあるが、それでも自分の心には誠実すぎる程に誠実で、周りの人間にも真実を見ようとする。
 そしてそんな日々の心の日記を欠かさない。自分の神への信仰心というものにも厳しく見つめ直していたりする。

 そういう彼は、ある出来事から現世でのすべてを憎しむかのような婦人に、いつも子供扱いされていたが、ある時の対話で彼は彼女の心に強い変化を起こす。
 彼自身の苦しみからも導き出されたような、自分を超えたような祈りが通じたのか、彼女はずっと忘れていた深いやすらぎを見い出す。
 しかし彼女はそれがきっかけとなるかのように、この世を去る・・。
 それは突然の事故なのか自殺なのかははっきりしない。
 しかし彼女との対話そのことは、若い神父の胸に閉まったままなので、二人の対話を覗き視た人の噂で他者には誤解を招いたりする。
 理解ある先輩の神父との対話も、信仰と言う観点から果てしない距離を感じ、彼にはまるで最期の別れのような気持ちがする。

 やがて彼の体調はのっぴきならなくなる。
 彼は都会の病院に行き、その病気は想像以上に重いことを知る。友人を訪ねたそのアパートで、彼は急激に迫る死期に、あっけなく人生を終えてしまう。
 しかし苦しみながらも、彼は表情にやすらぎを残したようだ。

 彼の一生は不幸だったのか、その物語は可哀想なのか・・・。もしそう言ってしまえば、彼の生きた時間を否定しさえするような気がする。
 彼は与えることの難しい人の心に、やすらぎを、彼を通して導き入れることができたことを思うと、それは彼自身のものでもある苦しみに向き合っていたからこそ起こり得たような気がする。

 ブレッソンの映画を観ると、誰の一生にも、たとえどんなに短い一生でも、なんらかの奇蹟があるような思いがする。
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Tracked from +propernoun+ at 2005-07-06 17:49
タイトル : ロベール・ブレッソン
バルタザールどこへ行くアンヌ・ビアゼムスキー ロベール・ブレッソンジェネオン ...... more
Commented at 2004-09-25 12:12
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by acoyo at 2004-09-25 12:21
んで、こっちは公開コメント。だから、何で毎日そんなすらすら精緻に書けるんですかっってば。もう、すねるわ、私
Commented by past_light at 2004-09-25 19:51
読ませて頂きました。こちらこそ、誤解されてもいいようなもん書くな(笑)。それから不快指数はゼロです。(笑)
大変な労力、痛み入ります。

それから、
>何で毎日そんなすらすら精緻に書けるんですか
これも誤解です。
以前のコメントに書いてますけど、すでにあるものに手を加えているだけです。
そのうちストックなくなったら更新はなくなるかも知れません(^-^;
Commented by acoyo at 2004-09-25 19:53
更新なくなったら、すごくいや。というか、困る。
Commented by past_light at 2004-09-25 20:46
ありがたいお言葉ですが、何ごとも無常です(笑)。
とりあえず「テロ」について前に書いたものがありました(^-^;

Commented by n1p at 2008-06-19 13:08
DVDボックスを買おうかどうか
いま、すごく迷っているところです(x_x)

Commented by past_light at 2008-06-20 01:34
n1pさん、はじめまして。
DVDボックス、けっこうな値段でしよう。
そうですね、ぼくも、できれば欲しい。
家計上圧迫するなら、サイフが太ったら・・というところですね(笑)。
by past_light | 2004-09-25 03:04 | ■主に映画の話題 | Trackback(1) | Comments(7)

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