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「リリィ・シュシュのすべて」
 ■いい、わるい、おもしろくない、なんてことが言えない映画と言うのは時々あって困ります。むしろ、つくっちゃいけないんじゃ・・とか、どうしてなのかと、問いたくなると言う方が適切かもしれない。 映画の「採点・星取り表」などを、ぼくがもともと敬遠するのは、ひとつにはこういう時のためなのかとも思う。  この映画で大人は、ありとあらゆる十四歳の闇を具体的に見せられて、やりきれない思いもするだろう。しかし、仮面だけになってしまった大人の地獄も、あるとすれば大人は自覚した方がいい。「痛い」なんて、流行らせないでほしい。

 ■映画は140分もあって長いけれど、「言葉にならない」そんな風景を残すには必要だったのかは疑問もある。 手持ちカメラのビデオ映像は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を思いださせたが、そんなには不快じゃなかったし、夜の直接ライティングも、あからさま過ぎだけど、意図はよくわかる。
 映画は引込んで行く力はあった。しかし、登場する誰もを好きになれそうもない・・。誰にも感情移入なんてできないだろう、十四歳じゃないぼくは。
 しかし、仮面のみが豹変するのは、十四歳のリアリティである。内と外が非常にアンバランスな時期だ。善人が悪人にすぐになれる。それにぼくの「リリィ・シュシュ」もその頃確かに存在しただろう。そして、日々の心のバランスに貢献していた女神だったと思う。
  でも、「遺作にしたいほど」という気持ち、監督のどういうところから出てくるんだろう・・。ぼくだったら、いやだなあ、ある意味いやなほど現実的だとはいえ、エネルギーのない魂の迷子たちのどうしようもない老化現象を映した映画。 それは今までになくこの映画で、じゅうぶん描かれて、わかるけれど・・。

 ■ひとりの少女が、なんらかの立ち向かい方をするけれど、あまりにその設定も残酷で、唐突で、映画は事の重さも無視したようにさえ進んでいく、ぼくは彼女に、軽薄に「がんばれ」なんて言えないだろうし・・。「アラベスク」を弾く君も、別の闇を彷徨ってるんじゃないのか。
  ねえ岩井俊二、「エーテル」なんて美化するなよ。ぼくの誤解じゃなくても・・。
 それをミュージックビデオか、短いSONYみたいなCMの、美しく切り取ったような映像でサンドイッチして、岩井俊二さんよ、・・気持ちを寄せてしまって、図らずも肯定されているように誤解する少年少女が、ヘッドフォーンして歩くようだと、とてもいやだなあ。
 しかし、それは内部と外部、自然と精神のこれほどの断絶というリアリティがあるのも確かだと、みとめるけれど。でもそれが伝わるだろうか、かれらに。
  それは美しい光景ではなくて、ほんとうは無惨な光景なのだということが。そんな浸食的な孤独は、病みつづけ、押し広がる空洞の自覚をも麻痺させるだけだろう。美しく見せられると、それは毒が過ぎるかもしれない。

 ■でもたしかにたしかに・・、誰しもそんな十四歳の闇を覗いた経験があるはずだ。覗いただけではなくて、永久にはまってしまって身動きできない地獄にいる人も確かにいただろうし、とくに現代・・。この映画では、現代日本のニュースで見聞きしている十四歳が確かにここにいる。 
 ぼくに十四歳の子供がいたら、見せたいかと言えば、そうは思えないが、どんな感想を持つのだろうという関心はあるだろう。君に起きていることか、君の周りで知られたことなのか・・。
  僕らにもそのころ、いじめがあった。なぐったり、なぐられたり、ひとりを数人が取り囲む。むりやり喧嘩をさせて見物する。・・どこでそうなるんだろう、大人もどこかでやっている、戦争で、職場で、街角で・・。だからって、十四歳よ、まねすんな、そんな大人に、そのままなりたいのか。

 ネットでの、やり取りの言葉が画面に打ち込まれていく・・。どうしてこんなにナイーブなんだ。なんてナルシスに満ちているんだろう。「エテール」って、かっこいい言葉か。
 岩井さんは、「いじめとか少年犯罪とか、そっから切り取って見ちゃうと恐ろしい気がするんですけど、その根っこってみんな知ってるじゃんって。なんかそこを思い出してもらいながら、身近にいる14歳を見てあげたらなって気はするんですけどね」という。・・どうもぼくには彼の言葉が無責任に聞こえるんだけど、根っこって、そういう意味なの? だから、この映画は、物語としては「はじまり」にさえ辿り着けないのだろうか・・。
 しかし、あきらかにこの映画は無視できないものを持っている。根っこではなくとも、「どこか」、までは、リアルに浮き出させている映画だろう。しかもいわゆるリアルな映画とは異次元の、独創的な方法で「リアル」を描いている。
 でも・・岩井さん、ドビュッシーのイメージを、自己中的にねじまげないでほしいな(笑)。

 ■ぼくの十四歳を、ダイアリーに以前書いたことがある。
 思春期には特有の・・そのエネルギーの陽に当たる部分に隠れた、いわばある苦痛のようなものを、多くの人が、感じるのではないかと思う。肉体的にも精神的にも不安定で、変化の速度にも持て余してしまうという・・そんな時期でもあるだろう。 ぼくのそんなある時期の記憶を、ちょっと以前ある掲示板で話したことがある。 それはやはり・・「昨今の、極端な少年犯罪などが起るのはどうしてか」、というような疑問に応答してのことでした。
 『・・中学生の時にわりと鬱屈した期間がありまして、引越したばかりで、ひとりで夏休みを送っていたある日だったと記憶するのですが・・、ニ階の窓から見る下の狭い通路に野良猫が歩いて来ました。 ちょうどぼくは小刀を手に持っている時で、何も考えず、ぼ~っと、その下に歩いて来た猫の上から、垂直に小刀を落とそうとしている自分がいました。 (猫に縁もなく可愛いともなにも・・関心のない時期でもありましたね)  でも、ハッとし・・その行為のなかにあるものにゾッと目が醒めたようになって、 その行為はしないですみました。
 狙っている時は、ゲームの様な感覚、落としても当たらないだろう・・という、鈍ったような神経の状態があったように思います。  あの時、ハッとし、ゾッとした、その「なにか」、心のバランス感覚の揺り戻しのような・・?  そういうものに興味があります。「どうして?」というと、あれが壊れるとどうなんだろう・・・ということが浮かびます。』

 2001年/日本/2時間26分 監督・脚本:岩井俊二 音楽:小林武史 撮影:篠田 昇--デジタルビデオ撮影。
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by past_light | 2004-09-23 01:37 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)
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Commented by acoyo at 2004-09-23 02:22
ううん……岩井俊二は苦手ですぅ。下の記事に出て来る、荒木さんのフォトエッセイは持ってます。トーゼン、こんな夫婦になりたいと、また思いました(笑)。
Commented by past_light at 2004-09-23 20:58
う〜ん、やっぱり別れちゃったですね。こちらは現世では永遠の・・と言うお話になってしまいましたが。