「1999年の夏休み」

 今年の梅雨はまだ終らないが、2005年の夏休みもそろそろはじまる時期になった。
 いつかしら、20世紀も遠い過去に相応しく語られつつあるのが思えば不思議な気分だ。
 ふりかえれば、この映画を観た頃、1999年でさえまだまだ先の事だと思っていたのだから。

 『2001年宇宙の旅』など、あの映画の中の未来のイメージは、無惨にもまだら模様どころか、比較する気にもならない地上のプレッシャーを感じさせる2005年現在世相だ。
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 『1999年の夏休み』は原作の少女マンガ(原作、萩尾望都の「トーマの心臓」)を、それはジャン・コクトーとか、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」の雰囲気さえ参考にしたような感じにぼくには思えたのだけど、それがもとにされたものだという。

 人里離れて森の中にある学校に、夏休みだが帰る場所のない4人の少年のひと夏の共同生活。そのひと夏の日々におこるできごと、四人の愛や孤独。それを少女が少年を演じるという形で映画にしていた。
 それは、あざといという感じもなく、そのことでかえって少年の心の原形を映し出すことに成功していたと思われた。

 この映画を思い出したのは、高校生らしい男女のグループが公園で花火をしていたからだ。
 この映画にも4人で湖の畔で花火をするシーンがある。
 ひとりの少年が、たのしいひとときの光景のなかでふと、その輝くような貴重な瞬間を愛おしみ、想う。
 「いつか4人での楽しい時間も過ぎ去り、ぼくはひとりぼっちになるのだ」。
 それはまたかれらが、夕焼けを黙って見つめるシーンにもおなじく運命的な淋しさが静かに流れていて、どちらもたいへんに美しい、印象的な場面だ。

 ぼくはこの映画のこの淋しさは、万人がいつか経験したことがあり、これから経験するものなのだろうと思う。
 いわゆる孤独とは、まさに一人でいる時に感じるものというより、他者との幸せの中で、自らの個としての存在を意識した時に現れるものだろうか。
 しかしその現れた孤独とは、他者を愛おしく大切に感じることを思い起こさせるために咲く月見草の花のようなものだ。

 花火の美しさを持続させることは不可能だ。輝く楽しい時間も同じだ。
 今という時を、友人や出逢った人と共有できることが、彼らが思っている以上に生きる上での宝物になるのかもしれない。

 ・・そう、確かにきらきらとした美しい瞬間、喜びは一瞬後に過ぎ去る。しかし、きらきらとした、また別の瞬間がやってくるだろう。
(1988.03.26公開)
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Commented by catvj at 2005-07-16 11:41
印象に残ってる映画です。たぶん最初に「トーマの心臓」を読んで
そのあと映画を見たんだと思います。ロケ地の一つ、大倉山記念館
へはそうとは知らず野暮用で中へ入り、しばらくたってから気づいた
なんて思い出が。建物や森の美しさもとても良かったと思います。
Commented by past_light at 2005-07-18 01:59
catvjさん、コメントありがとう。
大倉山記念館というと、学校の建物の入り口あたりの映像に使われたんでしょうか。
とても静かな場所に感じられて、映画にぴったりでしたね。
by past_light | 2005-07-12 20:16 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)

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