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「バベットの晩餐会」~芸術家は貧しくありません~

 久しぶりに一本の映画のことを話してみたい。

 「バベットの晩餐会」という、随分昔に見たデンマークの映画。
最初が三十年ほど前で、当時住んでいた街の近くの映画館でやっていたのだが、その時は実は観ずに終わった。

 上映中の頃、たまたまこれも暫く振りに街で出遭った友人が、ちょうどその映画を観た帰りで、「ぜったいSさん向きだから観た方がいいですよ。」と言われていたのだが、なんだか結局上映中は観ずに終わった。その後、暫く経ってテレビで観たのだった。
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 当時、何故食指が動かなかったのか考えれば、聞けばグルメ映画の部類なのか?、と誤解しそうな世の紹介記事にも責任の一端はあった。

 そのテレビで観てのことだが、なるほどと、彼が薦めてくれた意味は当時、半分ほど理解した。
何故半分くらいかというと、説明すれは、同じく、同じところを感じていたとしても、頭で感じるのと肚で感じるのとの違いということだろうか。
 そしてまた30年ほど経ってみて、同じ映画を再び観れば、誰だって感じ方のポイントとか、深みとか違うのは当然なんだろうが。いや、何か根源的に達しなかった場所へ達するような実感、というのもあるものだろう。

 映画の原作者は、デンマークでは紙幣の絵柄にもなったという、女流作家カレン・ブリクセン(1885~1962)ということ。
 1987年度のアカデミー外国映画賞を取った。ガブリエル・アクセル監督作品。

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19世紀後半、デンマークにある海辺の小村。牧師である父の家庭に生まれ、父の死後の年月も流れ、意志を継いで永遠のように信心深く、慎ましく生活を送る姉妹。
姉妹は村の清貧な生活と信仰のシンボルのような存在だ。

そこへ、花のパリから政変のために逃れて来たバベットという女性が、姉妹の前に倒れこむように現れる。
妹のかつての恋人でもあったフランス人歌手の、「彼女は料理ができる」という手紙に手にして。

使用人を雇う余裕などないと思うが、無給で良いというバベットには無下に断れず、そうして姉妹と三人の暮らしの物語は動き出す。
バベットは閉鎖的でもあった村人の警戒を、すぐに解いてしまうような不思議な女性だった。
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清貧そのものな暮らし、姉妹の食卓。慎ましすぎるほどに禁欲的だ。味覚を楽しむなどという習慣など全くないに等しい。
そこへ料理人として腕をふるうことになるバベットなのだが、姉妹は食事を楽しむということは元来望んでもいないこと。

それでもパリでは才能ある料理人だったバベットは、非常に限られた日々の予算からも工夫を試みるのだが、限られた素材自体の質素さもあり、なかなか満足の行く料理を作るということもできないでいる。
ある意味では芸術家のフラストレーションが堆積する状況でもあるわけである。

しかし、ある時買った富くじが当選する。それはパリに戻って生活を立て直す事のできるほどの金額だ。
しかしバベットは、およそ今後、人生最後であろう彼女の料理人としての才を、思う存分発揮することに費やすことにする。

姉妹にとっては念願の、亡き父の生誕100年の祝い。
長年親しく懇意の信徒を招きたい晩餐会の料理。それをバベットがすべて任せて欲しいと申し出てくれるのはありがたい。
ありがたいが、彼女のせっかくの賞金からの出費だ。辞退したい思いもある。しかし、この家での最後の頼みだろうと思い、バベットの申し出を受け入れる。
招かれる客は11人だ。

やがて村には注文された食材が運ばれてくる。
生きた海亀やウズラ、・・いわゆるフランス料理の第一級の食材、高額なワインなど・・。村人には目にしたこともない食材。それらから連想される晩餐会の食卓は、悪魔の食卓かと姉妹と村の人達は恐れ戦く。

このあたりからのユーモアのある描写も興味深い。
映像には寒村の暗さが基底にあるのだが、この映画全体にかよっている温もりのようなものは、この辺にも理由がある。

しかし晩餐会に腕をふるう料理は、バベットの懇願でもある。そこで姉妹と招かれる村の信徒たちは、食事についてはけして語らず、なにが出てきても黙して食するようにという合意がなされる。
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やがて次々と運ばれてくる皿を、黙々と平らげていくお客たちには、驚きと至福に登り詰めていく表情が現れる。当初の怖れは優しさに満ちたの表情へと変化する。
バベットの一世一代とも言える創造的な食卓は、パリの名店の味を承知した招待客の一人、旧知の将軍を除けば、姉妹と招かれた村の信徒たちには初めての味覚ばかり。
運ばれてくる料理に驚き、「これはパリで、以前一度だけ食べたことのある絶品と同じだ」、饒舌に解説する将軍にも、ただ黙って頷くだけだ。

信徒たちには、実は何を食べているのかさえ理解できないのだが、晩餐が終わると彼らは天の国でダンスするかの夜だ。

幸福な一夜が終わり、姉妹たちはバベットに礼を言い、パリへ戻ってまた、その才能を羽ばたかせるだろう彼女を讃える。
しかしバベットの口から、「賞金は晩餐会に全て使ってしまった」と聞いて驚く。
そしてこのまま、姉妹の使用人としてこの村で暮らすのだという。

姉妹は「それでは一生貧しいままですよ」と、バベットに言わば慈愛の言葉をかける。
そしてバベットから毅然として、いや当たり前のように発せられた言葉が、「芸術家は貧しくありません」だった。

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 長々思い出しつつ粗筋を話したが、つまり、この言葉の響き方が30年前とは違うということだった。

 それは、「武士は食わねど・・」とか、プライドとか、「物より魂」とか、そんなニュアンスのメッセージではない。

 バベットの内にある創造性や想像力、繊細さ精神性・・、およそそれは、幸にも人にとって与えられた内的な豊穣である。
 それはまた、清貧の中で精神性豊かに生きてきた姉妹と、ある意味では通底する阿吽の言葉でもあるだろう。

 言ってみれば信仰も芸術も、同じく昇華された場所が天の国なのだ。
by past_light | 2016-06-13 02:45 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

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