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「貧すれば窮する」からベーシック・インカムまでの対話

随分前の、さすらいさんの書き込みからの結構長い対話を読んでいたら面白かったので、再録しておきます。
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Commented by さすらい at 2009-08-21 22:43 x
「貧すれば窮する」というような言い方がありましたが、「食うために生きる」状態から解放されれば、あたりを見回す余裕もでき、視界が広がってきますね。立ち止まって考えるゆとりのあるのは重要です。

Commented by past_light at 2009-08-22 01:27 x
「貧すれば窮する」というのは誰しも実感あることじゃないでしょうか(笑)。
それから「貧すれば窮する」は言ってみれば泥棒の動機にもなるわけで・・(笑)。
ユングの話に、イエスが磔の際に、同じく磔にされて隣にいたのは「罪人」であったというのは象徴的なことだ、と言っておりまして、色々沈思黙考する話です。

Commented by さすらい at 2009-08-22 04:37 x
「働けど働けど我が生活は楽にならざりじっと手を見る」余裕も無いです。イエスはざいにん使いだったのですか。ローマ総督は処刑には消極的だったようですが、同胞のユダヤ人の中に強硬派があったようで。イエスも言ってみればその時点ではユダヤ教の改革者ですから、宗教者同士の確執はそのときからあったわけですね。

Commented by past_light at 2009-08-22 16:16 x
イエスが磔の際、のはなしは、ユング自身ではなく、ユング派のマリア・フランツの本からでした。意味的には以前,スピーチのページに書いてました。以下のようなものです。

「人間がすべて適応しているとしたら、世界は一体どんなことになっているか?
間違った行動をする人間が何人かはいるはずで、彼らは正常な人のスケープゴートとして振る舞い、 興味の対象になる。
犯罪小説などのありがたいことは『よかった! 私は罪を犯すような人間ではなく、完全に潔白だ』と言えるからである。
あなたに代わって悪い人間が悪事をやってくれるので満足を覚える。
これは救世主としてのキリストが二人の泥棒の間で磔けにされたという事実の深い意味である。
これらの泥棒たちも、また彼らなりに人類の救世主なのです」

この話は、軽率に読むとやや危険かもしれないが、その深い意味を感じる方には心動かされるものだと思います。 と感想を書いてます(笑)。

Commented by さすらい at 2009-08-22 23:05 x
人間がすべて適応しているわけではないというのは、適応への途上にあるということか、すべて適応はあり得ないということなのか・・・考え込まされるお話です。間違った行動をとる人は、そうでない人のための物差しということでしょうか。鏡のようにどうしても必要な存在と。

Commented by past_light at 2009-08-23 01:15 x
>鏡のようにどうしても必要な存在と。
これは近いだろうと思います。人のふり見て我が身を思え,と日本にもありますか。
映画なんかだと、「カタルシス」ということで、恐怖映画とか犯罪映画の効用が言われもします。が,ただ、さすらいさんのおっしゃるように「適応の途上にある・・」という人類の、心理的な解毒剤のようなものでしょうか。
我々が「悪」と呼ぶものが、我々に認識されるというのは,我々の内部に同じ素因が「ある」から、わかるのだ、ということで、もし「なければ」それを「悪」とは呼ばないというか,認識できないというか・・。
ただ、このはなしは、あくまでたとえというか,隠喩のようなはなしなのでしょうね。
ユングは集合意識」などのレベルを考えていた人ですから,「適応への途上にある」人間というのは,個人のように見えて、群れなして川へ飛び込む羊のような、いわば団体ヒステリー症状を見せる場面があるということでしょうか。ちょっと話バラバラですが・・(笑)

Commented by past_light at 2009-08-23 01:18 x
ちよっと著者の意図とずれているかも知れないので,
「人間がすべて適応しているとしたら、世界は一体どんなことになっているか?」
とありますので、これは「適応」というのを疑っているということでしょうね。
たぶん逆にいうと,「適応」しているように見えるのは、人間の社会生活におけるような顔の表面だけだから,ということで、・・。

Commented by さすらい at 2009-08-31 17:30 x
なるほど、自分の中にないものは認識不能かもしれませんね。外に見えているものの大方は、ちょっぴり自分の中にあるものなのかも。
「適応」の定義が難しいです。今ある社会レベルの状態は「適応の第1レベル」とでもかんがえてみたら、より進んだ適応というもののイメージができるかもしれませんね。

Commented by past_light at 2009-09-01 01:15 x
延長線上で考えると,大方の問題って、「悪」にしても、相手にばかりあって自分に「ない」と思い込んでいる場合の分裂が根っこになりがちなんじゃないかと思いますね。「正義」だと自分にあって,相手にはないと思いがちだったり。
「適応の第1レベル」というのは面白いですね。
同族を殺戮するし、自己チューがなかなか治りませんし,いろいろ思えば,ぼくら人類は、宇宙的に、スタートレック監査によると「適応の第1レベル」かもしれません。

Commented by さすらい at 2009-09-01 23:43 x
「悪」と「正義」の単純な括りわけは、一神教徒的発想ですね。たいていの場合相手が悪だと思っているから,双方にとっては正義の戦い、正義の旗をみんな立てていることになるのでしょう。始末の悪いことです。スターレックとは懐かしい。どうなったら「適応の第2レベル」になるんでしょう。

Commented by past_light at 2009-09-02 17:59 x
一神教徒的発想が西洋やイスラム独特かというと、ぼくは疑問です。
たぶんそもそもが人間の自己の視野のみで思考したものを絶対視するところにも共通したものがありますし。宗教だけでなくてイデオロギー的な意味でも同じかなと思いますね.
宇宙的な「適応の第2レベル」はなんでしょうね。
まず分離的な相対的な価値観を乗り越えて「地球市民」という一体感が育って成熟することだろうかなと思います。

Commented by さすらい at 2009-09-03 01:00 x
歴史の記録に残っているものでは、エジプト18王朝のイクナトン(ツタンカーメンの父)が最初に一神教的な宗教を始めています。信仰の対象は太陽だったようですが。モーゼの出エジプトはそのあとですから、ユダヤ教はイクナトンの影響を受けているという極端な説もあります。いずれにせよ古代人はそれぞれ部族のトーテムを持っていたのではないかと思います。始まりは自然への畏怖でしょうか。
国教や国や民族や種族や宗教といった副次的文化の壁がなくなったとき「地球市民」が誕生するでしょう。何世紀かかるかわかりませんが。

Commented by past_light at 2009-09-03 02:33 x
自然に対する畏怖は今でも人の心にはあるでしょうね。
太陽礼拝のようなシンボリックな単純なものは表面的にはあまりありませんが、無意識的にはけっこう影響しているものだろうともおもいます。
ユングのはなしで、患者の中に太陽を見て頭を揺らしている人がいたので,どうしてか尋ねたら「太陽の性器が左右に振り子のようにふれているのだ」というような答えを聞いたらしいです。
その後,神話の絵の中にそういう絵を発見して、患者が知っているとは思えないもので、驚いたということで,集合的無意識などの例として上げている素材です。
それは他者が利用すると宗教的なマインドコントロールが成立もする内面世界の暗部ですね。

Commented by さすらい at 2009-09-04 00:59 x
本能的に反応してしまう部分は今も残って居るかもしれません。怖いとき身がすくんでしまう例など。体内時計の実験の話を聞いたことがあります。周囲と遮断された時計ない部屋の中でしばらく過ごしていると、その実験では、25時間を1日とする周期があったそうです。理由はわかっていません。太古地球の自転が25時間の時があり、それがDNAに刻みつけられているかという論議になりました。理屈的には、月の引力によるブレーキで地球の自転は少しずつ遅くなっていくわけで、25時間というのは理屈に合いません。
どこまでをマインドコントロールと考えればいいかわかりませんが、同じ祖先なのに現代のような人の多様性は,文化という名のそれぞれのマインドコントロールの結果かも知れません。

Commented by past_light at 2009-09-04 01:23 x
本能的というと、やはり動物的なものなんでしょうか。必要なものもありそうですからね、これは白黒、言えないですね。
無意識に流されるという言い方もありまけど、意識化できないでいるものは意外に身近にあるのを忘れがちだと思います。
やっぱり元に戻りますが,(笑)他者にだけ悪を背負わせる癖とか・・。
洗脳は条件付けられるという言い方に換えられると思うのですが,妙な宗教などだと、もともと自分が望んでいるものを信じてしまうとも言えますが,騙す方だけが問題じゃなくてやっぱり騙される方も問題を温存している。

Commented by さすらい at 2009-09-06 00:03 x
何かとんでくるとまぶたを閉じるとか熱いものに触るとすぐ手を離すみたいに反射的に動くものは脳細胞が関与しない防衛本能でしょう。意識化されているのに,自分でそう感じていないものは多いですね。例えばいわれのない差別意識とか、きれい・きれいでないの判断とか。昔のマンガなどでは、悪人は悪人面に善人は善人面にかき分けていましたね。娯楽映画なんかの登場人物も,なぜか悪人は悪人専門俳優がいて、正義の側はハンサムだったりして(笑)偏見とか先入観とかいわれるもののなかにそうとうマインドコントロールがはいっているのでしょうか。最も、善と悪の違いなんてのはないのかもしれませんが。自分の意に沿わないものは皆悪にくくられてしまいます。ゴキブリなんかもその被害者かも(笑)

Commented by past_light at 2009-09-06 02:18 x
正義と悪が奇妙に同等になるのはイデオロギー的な考えが多いですね。
保守的な考えからするとリベラルは破壊的で危険とみなされ、一方が多数派だと少数派のときは迫害されますし。赤狩り,もあり、逆にブルジョア的だ、と避難されたり、と双方が繰り返す世の中というのも実は同じ根っこでしょう。

Commented by さすらい at 2009-09-06 23:07 x
レッドパージに文化大革命。鏡像でしょうか。右左に関係なくむき出しになったときの人々は怖い。そこへ誘導した人間はいたのでしょうがマインドコントロールというか刷り込みをされたひとたちの集団行動はすごい。入院中に、80歳の近い方がいましたが、選挙のポスターを見ながら、「自民党しかない。共産党なんてとんでもない」ということをいつまでも言っていました。現実の状況と関係無し。そのかたは生活保護を受けてやっと生きている方で、言ってみればブルジョアの反対側にいる人なのですが。一度すり込まれたことはいつまでも残るのですね。意識とは関係無しに。

Commented by past_light at 2009-09-07 01:30 x
そうですねえ、、そのお爺さんのように刷り込まれたものは自ら解毒するしかないのでしょう。
もうすでに自分で考えないで洞察もせずに、長年条件づけられた精神は漂白剤も効かないですか。それこそこわいことなのですが,そういう疑問も持たない人も多いでしょうね。

Commented by さすらい at 2009-09-08 23:14 x
最初に深く考えた上での結論というのでなく、いつのまにかすり込まれちゃって解除できなくなってしまった思考のようです。そういうことの積み重ねの上に社会が成り立っているのだとしたら、自ら解毒というのはすごく難しいことでしょうね。

Commented by past_light at 2009-09-09 00:53 x
そうですね。他人は変えられないですね、少なくとも無理強いして洗脳でもしないと(笑)。
だから、洗脳したがる輩は多いんでしょうね。
意外に凝り固まり鵜呑みにされた考えとか価値観などは、ころり、と洗脳されて刷かえられて狂信者に早変わりする人も多いんじゃないかと思います。
仏陀が「犀の角のように独り歩め」と言った意味は、何事においても通用すると思いますね。
人の考えにただむやみに自分を追従することの、その依存する危険の警告も含蓄されている感じです。

Commented by さすらい at 2009-09-09 02:49 x
卑近な例ですが、4年前のコイズミ劇場でわっと票が自民党に行ったかと思ったら、今回政権交代ムードでまたわっと票が民主党に行く、こういうのもある種のマインドコントロールと言うことですかね。政権交代といいながら、民社や共産へは票はそれほど流れません。
自覚無しに集団行動を取るところが怖いです。経歴から見てどう考えても政治には素人に思える人でも、知名度が高いと当選するというケースはたくさんありました。

Commented by past_light at 2009-09-10 01:47 x
小泉時代の選挙のときはぼくもびっくりしたのですが、ネットの知り合いなども女性に応援者が多くて,その後アフガン,イラク攻撃あたりから彼女たちもジュンちゃんとは呼ばなくなったようですが(笑)。
今回の選挙は「政権交代」に対する期待感が一番の要因だと思います。そのくらい多くの人が目に見えて世の中がおかしく見えて居たのではないでしょうか。
受け皿は民主しかなといういのは気持ちはわかります。よく言えば、数的にも可能性的にも民主しかないので,なんとか勝たせたいという気持ちがあるでしょう。
ある掲示板で読んだ中にはいつもは共産だけど民主に入れた、自民から民主に入れた、という書き込みも見ました。
社民と共産がなかなか伸びないのは、数,勢力的な問題と、ややリアルさが多数の世相の空気になかなか浸透できない党自体の問題もあるでしょうね。
それから、少し意見が違うのですが,ぼくはアマチュアがどんどん出てきた方がいいと思う方です。
プロにはない,それまで普通の感覚で生活していたり、様々な分野で感じていたことを取り入れて行った方がいいと思います。

Commented by さすらい at 2009-09-10 02:25 x
コイズミ政権のあたりから優勢さ得解決すれば何もかも良くなるというようなまやかしの政策が、具体的な形でたくさんのひずみを作って忌諱した。格差拡大は象徴的ですが、構造改革や新自由主義がなにをもたらすかを肌で感じてしまったのでしょうね。庶民に側だけでなく、会社なども安い派遣社員で済ませて、無駄だと思ったら切り捨てるという調節弁のような発想が強くなりました。昔のように会社の中でじっくりと人材を育てるという発想よりも、「即戦力」というような言葉で、育てることをなおざりにしてきてしまいました。この付けは、人材や技術力の低下という形で顕在化してくるだろうとおもいます。

Commented by past_light at 2009-09-10 20:07 x
基本的に世界経済がグローバル化して生産地が散らばって賃金格差の問題とか出てきて、国際競争が激しくなって、自国じゃ人は使えない,とかさまざまな経済システムの問題が、企業から「情」を排除させる理由になっている一面はあるでしょうね。
効率化、機械化されて行く大量生産の段階とかはこれからもますます進むでしょうから,雇用を従来の考え方では維持するのがむずかしくなるでしょうから,ベーシック・インカムのような案は必然として語られるようにもなったともいえるでしょうね。

Commented by さすらい at 2009-09-10 20:27 x
昔の社会主義の国で、地域によって,工業地帯、農業地帯というように割り振って人を動かしたり教条的に計画経済をして失敗した例がありますが、グローバル化という流れの中で「世界」という規模で農業立国、工業立国というような色分けが出てくるかもしれませんね。日本などは、自給率40%で貿易立国になり、その基幹産業も海外に拠点を移したりしています。さながらいろんな実験を繰り返している世界のように見えます。ベーシックインカムというのは、その込み入った世界への一つの答えになりますかね。

Commented by past_light at 2009-09-11 01:45 x
>ベーシックインカムというのは、その込み入った世界への一つの答えになりますかね。
なると思います,ぼくなどは。もちろん世界的にこの仕組が発展したらですが。
それからベーシック.インカムが万能というわけではないことは皆承知していると思います。ある程度最初の段階じゃないでしょうか。
ヴェルナーさんのはなしだと、ドイツは国内生産や国内需要機運が増すだろうという話をしていましたし、まだわからない変化とかもありそうですね。
それから確かに冷静に見れば暑い国,寒い国、とか特徴が各国気候でもあるわけですし、資源も違うし、得意分野も違うし、から,世界的に再分配制度ができるのがベストで、もしかしたら正常に人類が生き残るにはそれしか道がないのじゃないかとも思えます。

Commented by さすらい at 2009-09-11 02:38 x
世界や人間の状況を考えるにつけ、想像力が悲観的な方へいってしまいがちですが、ベーシックインカムのような,人の挑戦が続いていると言うことで少し安心しました。この話題は勉強になりました。ありがとうございました。

Commented by past_light at 2009-09-11 02:53 x
アメリカの医療改革のニュースなどを観ていても、反対する共和党とか利権に絡む人たち,・・なんだあ・・と人間の身勝手さを痛感しながら悲観的になる気持ちがおきますが、悲観的になるのはちよっと飽きたので(笑)、なんとかよいことがなるだろう〜と(笑)。
「結果に執着せずにものごとを進める」リーダーが取りあえず日米にいそうな気がするのが明るい材料です。

by past_light | 2015-05-01 16:28 | ■Column Past Light | Trackback | Comments(0)

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