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山田太一ドラマ-2『そして、友だち』
 山田太一のドラマに出演したヒロインなどは、ドラマの性格とは反対に、その後人気アイドルとなる人も記憶にある。しかし、このドラマのヒロインである深田恭子はすでに人気のある女優だ。彼女が等身大の高校生を演じているので、同じ年代の人も感情移入しやすいのではないだろうか。
 母子家庭という設定の、その母親役である仁科明子も復帰後初めての本格的なドラマ出演だと思う。

 働き過ぎで亡くなってしまった、やさしい父親との過去(少し前までの好景気と豊かさをも象徴する存在)も、まだ生々しくよみがえりそうな日々の中、悲しみと寂しさを乗りこえて頑張ろうとする母親の生存への力み(現代の生活者)、そしてそんな働く母に気を使い、甘える対象を喪失し習慣のように父の亡霊に語りかける娘の、湧き昇る日常の閉息感からの自由への衝動・・。

 そんな日々の中で、偶然出逢った青年との、彼女の生への情熱としても大切な、ある約束の遂行がドラマの発端だ。
 ・・「これから・・私、少し変になるかもしれないけど・・私を信じてて下さい」と、彼女が母と教師にいう言葉からドラマは展開する。
b0019960_12340317.jpg 退学した同級生へ接近。ウソとマコトの入り混じった曖昧な交流から、その傷を乗りこえ共感と友情を見い出す物語のラストまで、ドラマはずっと深刻ぶらず爽やかだ。

 また携帯電話という存在が、単に現実的なアクセサリーではなく、ちゃんと気持ちを伝える愛すべき道具として登場する。山田太一の積極的に現代を描こうというモチーフでもある。

 大滝秀治演じる住職、かれが老いて行く自分を言う、「もう、だれにも愛されてないから」という孤独。
 住職という父に関心が希薄な、息子である寺を継がない友だちの父親。かれが実利的な奥さんの達者な小言に思わず怒鳴る時に口にする「すぐに結論が出せない、曖昧なのがオレの生き方なんだ」という言葉。
 そして、深田恭子と仁科明子演じる母子家庭で、葛藤の終焉をむかえた母と子が、「お父さんは、もう居ないの。なぜお母さん助けてって言わないの ! 」「だって、大変そうだと思ったから」
 と本音をぶっつけ会う場面。
 それらはひとりひとりの孤独と、溢れる情愛の接近を感じさせ、深く伝わり心の動く脚本だ。

 人の正直なところの弱さを認めた上で、それを包み込んでしまおう、さらにすすんで、弱さを問題としなくなった人の心のすがた、互いの共感を軸とし人間の関係を手探りするような山田太一の試み。
 それはこのドラマ「そして、友だち」では、主人公の友だちの家庭の舞台でもある都会の街にしずかに共存している「お寺」という場所をとおしても、象徴され、暗示され、そして共時的に模索されている。それは先述の大滝秀治の住職という役の中に、あらわれる人間的な迷い、そこにおぼろげにも輪郭となっている。
 そういう意味では山田太一の宗教的な接近であり、その表明とも感じさせられた。
 人の関係を特別な設定に頼らず、現実のありふれていながらも誰しも解決に迷っている題材に目を向け、脚本家として踏み込み、そのなかから新しい人と人の関係、距離を見つけたいとしているように感じる。

 山田太一のドラマは、物語の締めくくりには時としてファンタジーをすら思わせる大団円を迎えることもある。
 それは、奇麗すぎたり理想的に終わる話に思われるかもしれない。
 しかし絶望とはまた、希望への隠れた内在する運動のプロセスと言うことができるだろう。もともとあった場所、ものに、気づく旅なのかもしれない。

 ファンタジーと言うと、このドラマでは死んだ父親役の三浦友和が深田恭子を陰から見守りサインを送る。
 そのサインの意味が最後に明らかにされるが、それは「大丈夫。真直ぐ行け」というものだ。
 このシンプルなサインは「信頼」を意味し、ぼくらを応援しているものかもしれないが、 理屈は抜き、ただただ視聴者が心に受けとめればいいのだろう。
テレビ朝日放映(2000.1.19)
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by past_light | 2005-02-24 22:28 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
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