山田太一ドラマ-1『小さな駅で降りる』

 山田太一は、基本的に現代が抱えている問題を避けた、いわば逃避的な夢物語を書くわけではない。かといってそんな時代をただただ、なぞるような流行りものという視点でドラマ作りすることも全くない。
 同時代を生きるひとりとして誠実に問いかけ、その向こうにある可能性としてのメッセージを込めた脚本を書いてくれる。
 綿密な現場の取材に裏付けられながらも、けっして時代のあからさまなリアルさだけを追求していないところにも感心させられる。そんな数少ない、脚本家としての責任を自覚したかのような精神の人である。
b0019960_17531291.jpg ドラマの中に込められるものというのは、日常ぼくらが時に圧倒されがちな現実の壁の前で、柔らかな精神を麻痺させ、窒息しつつ方向感覚を失いつつある日々に、ある意外な方向から起きる無垢な形とさえ思える事件や、そんな登場人物の自由闊達な無邪気さによる出来事の注入によって、その窒息状態に風穴を開けてみせるのである。

 「小さな駅で降りる」では、主人公になる中年のエリートサラリーマンふたりが、会社のリストラ真っ最中に、社長直属で新しく設けられた合理化のための戦略チームの仕事を成功させようと張り切っている姿で始まる。
 しかしその姿からは、のちの伏線として感じられるような、やや追い詰められたような頑張りが見えてとれる。
 リーダーである中村雅俊演じる部長が、最も信頼関係にある部下を演じる堤真一と、昼食をとるため店の前で順番待ちしている場面でもそれは感じられる。

 「こんなとこで・・なんですけど・・」
 「なに、辞めるのか?」
 「は・・?」
 「会社・・」
 「辞めませんよ」

 彼らの奥さんを演じるのは樋口可南子と牧瀬里穂。
 彼女たちの柔らかさと無邪気さが、その後、彼らを本当にそうさせるまでの物語は、山田太一の脚本家としての力を充分感じさせるものだ。

 趣味を楽しむのんびりとしたような奥さんふたり、彼女たちは山田太一ならではの風穴を開けようと試みる、そんな無邪気な天使だ。

 身近にリストラの嵐。見るものによっては、それを助長するかの視線を覚悟しなくてはならない夫たちの仕事。そしてそんな企業常識であるか、利益を確保するためにやむを得ないとされる合理化という名の突然の首切り。
 この時代にある中年の男たちにしてみれば、自ら進んで会社を捨てるなどという考えなどみじんもない。そんなことは人生を捨てることにさえ匹敵する。

 「疲れてるんだ ! ずっとずっと仕事なんだ」
 「だから休もう」
 「なに言ってる ! 休んでどう生活していく。家庭の平和も仕事あってのことだろう。 休め・・?バカなことをいうな。 男の仕事をなんだと思ってる。」

 ・・そんな展開になるのは、妻たちの企みで内部告発めいた文書が社長に届けはじめられるところからで、夫たちの仕事の曖昧な価値というものが浮き彫りにさえされてくる。

 「2年、休もう」「今休む方が、60歳になって休むより楽しいと思うの」

 脇役としては贅沢な出演者である登場人物たちも重要だ。
 山崎努の小売店から自力でのしあがった昔気質のスーパー経営者。典型的リストラに遭遇するかの中間管理職である柄本明。また二代目社長の後見人・子守役みたいな専務を演じる佐藤慶など、彼らが説得力のある現実感を象徴的にドラマに与えている。 彼らは現代の歪みを白昼の中にさらす存在でもある。
 なかでも山崎努演じるスーパー経営者は、
 「今の時代のやり方についていく気はないよ」「そんなに儲けてばかりでどうする」
 と、奥さんの痴呆症状の出会いをきっかけにして、この時代の駅を突如降りる。
 「いいかい、最後に残るのは会社じゃないぞ。カミサンだよ」

 合理化による会社の生存競争にも、角度を変えてみれば他の世界に全て目をつむり突進する、そんな猛牛に追い立てられているかのように、あるタイプの女性には見えるだろう。
 彼女たちはテレビで、スペインの街なかに牛を放してその前を逃げまどう男達のニュースを観て、「どうして、男って、わざわざ牛の前を走るんだろう」と呟く。

 現代ではもちろん、女性でも男社会で頑張る人はいるから男だけの世界の話ではないし、このドラマでもやはり頑張る女性が出てくる。
 なかでも根岸季衣の役は象徴的で、エリートでベテランのOL、しかし夫婦関係は壊れ、離婚を決意した彼女はリストラの影におびえている。
 「今は仕事、失したくないんです。プライド、持ってたいんです・・」

 作者である山田太一は誰かを非難や批評をしているわけではない。そう誰しも事情がある。
 しかし、ただ現代の風景を黙って容認するだけでいいのか・・。
 おかしいと思ったらおかしいと言わなくてはならないのではないか。そんなふうに感じさせるメッセージは、人がこの世に命を受けて生を謳歌せず、時代に翻弄されて、がむしゃらな日常の中で人間の尊厳を見失っていいのか・・というようにも聞こえる。

 樋口可南子と牧瀬里穂の奥さん役を観ていて思い出したのは、スペインの映画監督ビクトル・エリセの言う(現代では必ずしも定説たり得ないのはもちろんだが)
 ---周辺にいるからこそ、世界の深さと真実を感じとっているのは女性と子供ではないか---という洞察だ。
 子供の視線といえば、中学生の娘が感じ取っているものに、ある種の鍵があると思う。
 「お父さんは忙しいの、わかってるし・・。ふたりとも私のことちゃんとやってくれてると思う。別になにが不満というわけじゃないけど、でも・・なんか・・むかつく」

 ふたりの妻たちは決定的な手段で夫たちを休ませようとする。
 ふたりの夫は、自分たちがギリギリのところで頑張っていたことを妻が理解していたことを、そのとき素直に喜ぶ。
 部長役の中村雅俊は、緊張が突然ほぐれたかのように膝ががくがくと折れ、その場にへたり込んでしまう。

 よく晴れた日、彼らは鈍行列車の旅に出る。
 途中、急行通過待ちの小さな駅に列車は止まる。
 勢いよく駅を通過する急行列車。
 それを見送る彼らは、 そしてその小さな駅で降りてみようという。

 「こんな旅初めてだね」
 「時間はたっぷりあるさ」
 「お金はないけどね」
 久石譲の音楽がそんな空気にとても合っている。

 小さな駅で降りた彼らの旅は始まったばかりだ・・。
 (2000.3月 12日テレビ東京)
[PR]
トラックバックURL : http://past.exblog.jp/tb/2064476
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from KAORU BOMBAY.. at 2005-02-20 01:05
タイトル : TV 脚本家・渾身のこの一筆/山田太一編
  山田作品を覆い尽くす、その世界観なるものを称して、徹底したリアリズム投射のドラマ、と定義づけなさる識者も多い。   私の中の山田太一氏・渾身の一筆とは、『岸辺のアルバム』。6人の若者の群像劇を通じ現代を描写したとされる『ふぞろいの林檎たち』でもそうであ... more
Tracked from ◇◆Essayという試み◆◇ at 2005-10-30 21:19
タイトル : 山田太一『男・女・家族』
(引用開始)  社会が個人に求めるのは、多くその個人の断片的能力であり、営業のうまい人はその営業能力を、技術を持つ人はその技術を求められる。しかし、それ以外のその人が持つさまざまな(豊かかもしれない)個性については関心を持たれない。  必要とされた能力が衰えれば、大抵の場合その人物は社会的には無か邪魔者になってしまう。  そのような扱いに耐えられるのは、社会の要求にこたえることに多忙な一時期か、社会的な挫折を知らない少数者、よほど孤独に強い人、厭人家などで、多くの人は、社会が必要とする能力が...... more
Tracked from のほほん便り at 2009-05-07 08:44
タイトル : 山田太一ドラマスペシャル「小さな駅で降りる」
じつは、2000年に放送された作品の再放送だったんですね。(道理で、クレジットが昔っぽいと思った) 個人的には、サブタイトル「一企業戦士の妻達の反乱〜最後に残るのは家族」ってのは、やや説明しすぎの印象。むしろ、無いほうがスッキリしたように感じられて 惜しむらくは、序盤を、かなり見逃したのですが、とにかくキャスティングが贅沢! たとえ出番が少なくても、要所要所で、名優が登場。じつにほどよい、キラリと光る存在感なんですよ。サスガだなぁ、と唸りました オハナシは、厳しい現実。細かい諸々を飲...... more
by past_light | 2005-02-19 20:37 | ■主に映画の話題 | Trackback(3) | Comments(0)

過去と現在、記憶のコラム。関連ありなTBはラヴリー。リンクはフリー。コメントはブラボー。


by Past Light
プロフィールを見る
画像一覧