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ダンサー・イン・ザ・ダーク
 ビデオなので、劇場版とはオープニングが違うという。
  手持ちカメラだから、そういう臨場感とその場のリアルな感覚は実にうまくかもし出している。
 だけど、観る方にはとっても疲れるやりかただ。単なるハンディカメラというせいではなく、対象に寄りのままターンでブランコ状態なのだな、これは。
 それでも強引に見ていただきます、と言われているようで、「はい頑張ります」と、こちらも言わずにはいられないようなそんな力はある。
 しかしそれはまた、ビョークとセルマという、主人公が分けられないほどに密着したからの力でもあるのは忘れてはならない。
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  才能を自認しているのだろうラース・フォン・トリアー監督は、いかにも「こういうミュージカルをつくってやろう」と思ったんだろうと想像できる。
 昔、人の温度を拒絶する現代美術・コンセプチュアルアートというもののなかに、乾いた美術館の建物の匂いばかりが際立つようにしむけるような、そんな脳髄だけを求める、ある不快感しか感じさせないものを見たような気がする。なんとなく似ている空気が漂っていたのが気にかかる。

 この映画の監督にとっては「これは寓話です」ということで、不快感を訴える観客に牽制を用意したのじゃないかと勘ぐりたくなるが。
 確かに森のひょんなところに素敵な病院が出て来るし、セルマの働く工場もなんとなく整然とし過ぎているし、監督にとっても都合のよい設定だ。
 デンマークあたりだと、こういう悲劇的、そして悪夢と白昼夢の繰り返すお伽噺も、ミュージカルにしようというセンスも生まれるのかもしれない。

 しかしたぶん、セルマという女性像には感情移入はむずかしい。強引に感動しようと思えばできないわけではないが、それはどこか危ない気がする。
 子供への愛の「形」も自己信条中心的に、偏執狂的な思念に捕われて、ということも考えなくてはならない。それがセルマのすべてだと思えばそれも神性に見えようか?。
しかし実は、ビョークの魅力でぐいぐい・・だ。

  視力の狭いエリアをしか映せないハンディカメラの現実?と、夢のミュージカル形式とを移行する感覚は、不快感さえ覚えるほど新鮮だ。
 が、ラース・フォン・トリアーは、どうしてもラストシーンを強引に観客の網膜に映るようにしたかったのだろうか。それは賛否のピに決定的に嫌われる原因にもなった?。
 監督は結末を教えないで、と言ったらしいけど、脳髄の悪趣味がよけいに感じられる

 「ミュージカルのなかでは決して悲しいことは起こらない」セルマは言う。よけいにむごい。

■ラース・フォン・トリアー「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年・デンマーク)
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by past_light | 2005-02-04 19:55 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)
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Commented by coyabu at 2005-02-05 22:17 x
TBありがとうございます。ブログを初めて1週間目、という初心者ですがよろしくお願いします。
>>ビョークの魅力でぐいぐい・・だ。
ですね。
アイスランド出身の彼女ですが、厳しい寒さは個性的なアーティストを育てるのでしょうか?アイルランドのU2や、日本でも、青森県出身の個性的なアーティストが多いような気がします。寺山修司、矢野顕子、高橋竹山など、何か共通点があるように思います。
Commented by past_light at 2005-02-06 01:59
coyabuさん、コメントありがとうございます。
御挨拶しなくちゃと思いつつ、履歴をなくしてしまいました(^-^;

そうでしたか、まだ一週間、ノスタルジアとかミツバチのささやきもインデックスに見つけましたよ。
こんどまたトラバさせていただきます。
こんごともよろしく。