2004年 12月 09日
ジョンの魂
忘れもしない・・というべきか、もう20数年も経つなんてことが信じられないのだけれど。
その日、午後のラジオのポップス番組の途中で、突然のニュースアナウンスが流れたのを、ぼくは「えっ?」と耳を疑いながら聴いた。
その日はぼくは自宅でグループ展の準備で作品を制作中だった。
伝えたラジオのディスクジョッキーも、どういうことなのかわからない・・という感じで、しきりに落ち着こうとしていた。
ジョン・レノンはその頃、新しいアルバム「ダブル・ファンタジー」を出したばかりで、久しぶりに話題の人でもあった。
それは後にして思えば不思議とも皮肉とも・・思える、そんな時期に重なった衝撃的な出来事だった。
ビートルズといえば、解散後しばらくは、ポール・マッカートニーとジョンの対照的なその後の活動がよく比較されたが、それはジョンの曲に、ポールに宛てた「どうしてまだそんなところにいるのかい」といったような、皮肉な歌詞がよく入っていたからということもある。
ジョン・レノンは確かにビートルズを終えていたが、ポールの歌からは、いまだにビートルズが続いていた。
その頃聴いたポールの曲は耳あたりのいいポピュラーな軽快さとメロディで、けして不快とはいえない楽しいものだった。それはそれでよかったのだ。
しかしジョンの曲には、どれも聴き流して忘れ去ってしまうには、あまりに聴き手の奥まで届き、くい込んでしまうものがあったのもたしかだ。
ポールの曲の歌詞には注意をひかれることはなかったと思う。しかし、ジョン・レノンやポール・サイモンの歌詞カードには何度も目を通さずにはいられないものがあった。
それは音楽の有り様、あり方・・といった是非には関係なく、生きている作り手の個人から聴き手の個人へ渡される思想や感情のバトンタッチのようなものでもあった。
そう・・レコードを一枚買えば、ひと月以上はそのレコードを聴き続けた時代でもあったのだ。
(2000年12月8日のノートから)
by past_light
| 2004-12-09 01:24
| ■コラム-Past Light
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