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「頭の大きな男のはなし」
先日紹介した「昔話へのご招待」は、夜寝しなに寝床で二回分ぐらいづつ聞いている。だからまだ楽しみが当分ありそうだ。
それで、昨日聞いた『遠野の語り手・鈴木サツ(語りを聞く)/わらべうた』の回、サツさんの絶妙な語りはすばらしい。それ自体が作品だ。しかしお話の内容は翻訳聞かないと解らないところも多い(笑)。
その「頭の大きな男の話」を聞いていて、これは落語にしたらいいなあ,と思った。もしかしたらすでになっているかもしれないが。
それで落語風に採録・・。
・・・・・・
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ご隠居、おめでとうございます。

おや,くまささん、早々おいでかい。ああ、おめでとう。
それにしてもどうしたい、またカカアと喧嘩でもしたのかい。

聞いてくださいよ、カカアのやろう亭主の俺に「正月だからって、いつまでもごろごろしてんじゃないよ、まったく頭はでかいだけで中身は空っぽかい。ちったあ金の成る知恵でも出したらどうだい」なんてぬかしましてね。正月だからゴロゴロできるってもんで、こちとら。

ははあ、またつまらない喧嘩だね。
それにしても晦日に床屋行ったばかりってえのに、またよく伸びる毛だね,お前さんの頭は。

なんかご隠居におもしれえはなしでも、って事でご挨拶かねがねってわけで。

おもしれえはなしかい。
じゃ、こんなのはどうかい。

へ。


昔,頭のえらく大きな男がいてね。

あっしのはなしですかい(笑)。

男の頭のでかさにどんな床屋も嫌がってね、剃っちゃくれないで困っていた。
で、まあなんとか剃ってくれる床屋が見つかって、まあ七晩かけて男の頭を剃ってやったそうだ。

へえ、またすごい頭ですなあ。

しかしな,剃り終えたのはいいが、頭のてっぺんの方を剃刀で切っちまったそうだ。
それでしょうがないってんで、男は柿の種を埋めて塞いでおいたそうだ。
暫くすると男の頭から柿の木が生えてきて、やがて立派に実を成らせた。
その柿はえらく美味でな、町のみんながもらいにきた。
そんなに美味いならってんで、男は殿様に差し上げに行ったら殿様もたいそう喜んで、男に褒美を持たせて帰らせた。
それをうわさで聞いた柿屋が「頭にできた柿で褒美をもらうなんてとんでもねえ奴だ」ってんで、男が寝ているうちに柿の木を切っちまった。

なんだ,金の成る木かと思いやしたが・・。

男の頭は切り株だけになったが、やがてそこからキノコが生えてきた。
またそのキノコの美味たるもので、みんなもらいにきた。それでまた殿様に差し上げたら、また喜ばれてな,褒美をたんともらったそうだ。

とんでもねえはなしと思いやしたが、なんだか羨ましくなっちゃいやすね。

だがな、今度はキノコ売りに「とんでもねえやつだ。頭にできたキノコで褒美をもらうなんて」ってことでな、男の頭の切り株が掘り起こされてしまってな、大きな穴が空いちゃったそうだ。

ありゃぁ、想像できない痛さですな〜。

それで,男は仕方ないってんで、水を入れて穴を池にしてね、鯉を飼ったそうだ。
その鯉がまた立派に育って、どんどん増えた。それでその鯉の美味なことが評判になり、みんなが御馳走になりにきたもんで、男はそんなに美味いならまた殿様に、ってんで差し上げたらまた殿様は喜んで褒美をくれた。

どこまでも運のいい男ですな。

だけど、それを訊いた鯉屋がまた腹をたててね。
「頭の池で飼った鯉で褒美をもらうなんてとんでもねぇ奴だ」ってんで、男の頭の池を土で埋めちまった。
しょうがねえから、男はその土で大根を育てたら、これが立派な大根になった。そりゃあゆうに十里にもなる大きさの大根だったそうだ。

十里ですかい。こりゃおでれえた。それじゃ食いきれねえや。

ところがね。男はその大根を「ごり、ごり」て食べちゃった。

なんでえ、駄洒落ですかい(笑)。
でもご隠居、大根の葉っぱのほうはどうなってんですかい、ええ。

こりゃあね、は・な・し・だよ。

おあとがよろしいようで。
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by past_light | 2010-01-04 18:00 | ■コラム-Past Light | Trackback | Comments(12)
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Commented by さすらい at 2010-01-04 22:16 x
おもしろい話をありがとうございます。外国に「ほら男爵の冒険」という話がありましたが、とてもよく似た印象ですね。私もその手の話が好きで、在職中は、給食の時間に、子どもによく話していました。ほら話やお化けの話は子ども達も好きでした。現役だったら、「頭の大きな男の話」も頂くところですが残念です。
Commented by past_light at 2010-01-05 02:31
そういえば、日本の昔話も外国の話によく似ている物も多いそうです。
きっと、人間の意識の深部には共通した物語が流れているのでしょう。
昔は、集合意識もシンプルでテレパシーみたいに基底に流れていたのでしょうかね。

ほら話、この話しなどは大人目線でいうとシュールなんですが、そんなことはまったく忘れさせてもらえます。
もっと歳を取ったら、語り部爺になってホラ売って暮したいと思ってます(笑)。
Commented by さすらい at 2010-01-09 00:53 x
ほらというのは嘘と違ってスケールが大きいです。子どもの頃読んだ「ほら男爵」の話でも、、大きな川を渡るのに、橋がないので、自分で自分の身体をひっつかんで向こう岸に投げたなどという話はいまだに忘れません。子どものときは、確かにシュールな話でもそのまま自然に受け入れていましたね。そのときは不思議でも何でもない刷り込みがあって、今思い出しても話を聞いたときと同じ気持ちで思い出すことが出来ます。似たような話をさがしたくなったりします。
Commented by past_light at 2010-01-09 19:42
昔話はだいたいにおいて超現実ですが、あの謎めいた構造は無意識に到達するよく知恵の効いたかたちだという感じがしますね。

自分で自分の身体をひっつかんで向こう岸に投げたなどという話・・
というのはダイナミックで視覚的肉感的です。
アニメの映像になりそうですが、昔話はとくに話として聞くのが想像力を育てて、むしろ内的にダイナミックですね。
Commented by さすらい at 2010-01-11 01:27 x
子供のときの想像力を長ずるに従い失ってしまうのはもったいないなあと思います。子供の史なんかも。ちいさいこのものはおもしろいのに、理屈が入ってくるあたりから、なにか生彩が無くなってしまいます。理屈は理屈として、想像力は想像力として、両方持てたら、人生はもっと生き生きとしたものになると思うのですが。「大きな桃が上流から流れてきました」をどうして桃が川を流れてくるんだと理屈を言い出したとたんに、桃太郎は遠くに行ってしまいます。
Commented by past_light at 2010-01-13 01:12
ユングなんかがすごいのに、無意識の探求にてかなり病すれすれ危ないところまで行く精神の強靱さと、ともに理論的な構築力なんかがあることです。
作家のヘッセなどの中期の作品にあるような両極をバランスさせようというものにも感動しますね。
ほんとうに大人というものには感性も智も両方必要なのでしょうね。
Commented by さすらい at 2010-01-13 02:40 x
感性と知性とは併存できるものだと思います。子供の詩の例のことを書きましたが、高学年あたりから文章の表現が妙に理屈っぽくなって、ちいさい頃の率直な感性が無くなってくる反面、言動では、理屈というより情動の方が目立ってきます。思春期というのは難しい時期です。両極のバランスを獲得するのは並大抵の事ではないと思います。
Commented by past_light at 2010-01-14 01:41
思春期がバランスのむずかしい時期というのはよくわかりますね。
思いましたが、ユングにしてもヘッセにしても、またまどさんにしても、老境に至ってなにか完成に迎えるものがある種バランスだという感じも受けます。
子どもから思春期へ、青年から老人へ(笑)、バランスはもしかしたら性のエネルギーとも関係しているかもしれません。
内的な意味ですが、攻撃性とか支配性などは男性性と女性性のバランスがかなり関わるという感じです。
Commented by さすらい at 2010-01-14 11:38 x
難しい思春期だからこそ、何に(誰に)出会うかというのは大切な問題です。別にヒトでなくても良い。1枚の絵でも1曲の音楽でも一つの小説でも。そのとき出会ったものの影響は長く続くような気がします。そうした人生の延長線上で自分のものが展開していくような気がします。思春期は難しいと共に柔軟な時期でも在ると思うんです。
Commented by さすらい at 2010-01-14 23:26 x
傍で見ていると思春期の不安定さみたいなものがよく見えるのですが、自分はどうだったかと考えると、さっぱりわかりません。まっすぐ来たように思ったりもして。私は17で家を出ましたから、多分その前に通過儀礼みたいなものはすんでいたのかもしれません。それと、方思うでも何でも恋をすると大きく変わるようにも思います。
Commented by past_light at 2010-01-16 01:56
どちらかというと、万年思春期な時期が長いような気がしているワタシですが、まあ中年からまたしばらく新たな思春期という説もありますので、見極めたい気持ちもあり、またあれこれ程々にしておきたいです(笑)。
Commented by さすらい at 2010-01-16 23:40 x
「万年思春期」とはうらやましい。一生燃えているということですからね。ネガティブにならなくて良いです。同期では、何人かもう人生の終わり方を考えている男もいます。これって思春期の心を失った状態かなともおもいます。