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「トウキョウソナタ」
黒沢清監督というのは昔、初期の「ドレミファ娘の血が騒ぐ」という、ちょっと稚拙なゴダールっぽいというか、実はぼくは良く理解できていない映画、それからその後観た二本ほどのホラー的な作品などからの印象からいえば、あまり好きな部類とは言えない人だったが、この映画は誰もが観て面白く観れる映画だと思う。
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ごく普通の家族設定。サラリーマンの夫と主婦,大学生と小学生の男の子のこども。でも当初から家族はバラバラな印象ではじまり、それが加速して行く物語が展開すると、黒沢清ならではとも言えるのだろう独特な場面が連続する感じもちゃんとある。

ぼくなどはサラリーマンの人の、時代の変化の中で安泰だったコースが、足下から崩れていくことの不安や、夫が家族にリストラ後の事を知られまいと必死に社会的体裁を繕うという姿は、現実的に男としては充分わかる部分は多々あるけれど、やはりどうかというとその人たちの反応は過剰で、コメディ的にも思える。しかし、現代のたしかに現実なのだと言う意見には異論はない。

夫婦役の小泉今日子と香川照之、ふたりの息子たちの演技もいい。香川は「あるべき」人生、家族像、親像、に頑固にハマった可笑しさ哀しさをよく体現していたし、物語の展開とともに、そこから再生する様、そしてこの映画の個性的な後半の展開にもよく着いて行けるキャラクターだ。
またとくに小泉今日子はこの映画では役としていままでにないキャラクターに思えた。ごく普通に見えるサラリーマンの主婦像だが、映画を通して徐々に彼女に感じるものは、単に鬱屈したとも言えず、必ず爆発するとも言えない、得体の知れない日常のぼんやりした感情。それが自然と表れていくような、この小泉今日子という配役に違和感を感じさせない、よくこなれた存在感が出た。

だれもが本心を隠し、というか、けして家族にさえ面とは明かすこともできず、「家族」という形態を形として保ちながら、家族としては精神の内部から崩壊している、そのばらばらな様。そしてやがて形態としても保ち得なくなって行く過程は、こういう二時間の映画の中であるから、誇張的にも思えるだろうが、やはりそれは現代では普遍でありリアルである。

そして映画は、そのまま家族が破壊の一途へと進むのか、とだんだんやるせない思いになるが、最後にはドビュッシーの「月の光」のすばらしいピアノ演奏が、不思議な希望の光を、家族の静かな再生を伝えてくれて、気持ちよく観終えることができる。
この希望というか、感動というか、は、平凡と普通と無力の輪廻の中から生まれ、ぼくらがあるとき発見する、「突然変異」のもたらす驚きと感動である。

(下記は監督へのインタビュー記事から)
─それでは最後の質問ですが、黒沢さんは「映画史的に正しい」映画について言及されることがありますね。この映画を作られる上で、そういったことを意識された点はありますか?

黒沢:そうですね、なにか理屈を超えた形で、ある祝福がこの家族の上に訪れるという、それはつまり音楽ということなんですが、観客の方にはぜひ理屈を超えたある感覚によって、何かを感じ取っていただければうれしいです。映画の正しさって理屈だけではなくて、感覚的な正しさもある。この作品がそうなっていればとてもうれしいですね。


監督:黒沢清 2008年
公式サイト
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by past_light | 2009-11-19 19:14 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)
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