「ぐるりのこと。」

失われた十年とよばれた時代がありました。
たぶんバブル後の時代を言うんでしょうが、個人的にはよくわかりませんね。バブルな生活とは無縁だったからか、いつもピンこない話だ。

この映画だと、よくどこにでも居そうな夫婦の1990年代の10年の時間。
そしてその間に、この社会で起きていたいわゆるぐるりのこと。
旦那の方の法廷画家が傍観する当時の事件を反映した法廷を通して、振り返れば不安すぎるほどの変化が、社会の奥深くから起きていたというような再認識をもする。
人間の所業としてはいやな後味ばかり、そういう記憶にある事件がぐるりにあった。それはいうまでもなく今でも続いているようだ。
法廷画家の旦那は、ある意味では持ち前のひょうひょうとした性格が幸いするようにか、映画のなかではさして心理的にもコミットしていない風情で淡々と仕事をこなしていく。
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ぼくらの生活はだいたい主に自分の手ののばせるぐるりのことだけで過ぎていくようだが、毎日ニュースで聞いたり観たりするいろんな事件はどう繋がっているのか、ときどき思うこともある。

しかしあまりに理解できない事件などを目の当たりにすると、まったく無関係のものにしか思えないのだが、それでも社会で生きるある意味の不安という影響は与えているだろう。
夫婦,家庭という個的な単位にもさまざまな変化があるものだ。崩壊の瀬戸際もあろうし、そして再生の物語もあるだろう。個の再生とは、ぐるりの社会の再生にも、必ずちいさく繋がるのは歴然だろう。

学生時代からの付き合いのような、どこかにいそうな夫婦の10年。
法廷の被告たちを演じた脇を固めた達者な役者たちも短くても見どころ。全体、映画の見どころは多いが、とにかく夫婦を演じるふたりが実にハマっていて、こと妻の役、木村多江は入り込みすぎて、こちら観客も心配になるほどだ。
彼女自身がこの映画のこの役で女優として再生したかのような話をしていたことをどこかで読んだ記憶があるが、それはそうだろうという納得するものだ。

子どもを亡くしてからの情緒不安定な様子を演じるが、彼女自身が役に入り込みすぎてウツ的な状態だったようだ。
見せ場の一つである、妻が泣きじゃくりながら夫に悲しみの堆積した感情をぶつける場面などは、観ていても圧倒的だ。実際、夫役のリリー・フランキーの話によれば、役に入り込みすぎ、泣きすぎ、台詞が言えなくなるテイクも重ねたようだ。そのリリー・フランキーがとてもやわらかい存在感で受け止めているのが、まさに監督の意図した「ふたりのドキュメンタリー」を成功させていると思える。
それは撮影にも表れていて、実にワンシーンをカメラが長回しで録り続けることが多いから、演じる側も大変だが、出来上がりから感じられる、夫婦の各場面の集中力と緊張感はただならぬもの。初主演のリリー・フランキーが妻の苦悩を受け止めるその場面、元々のプロ役者とはまったく異質と感じるような自然さを、けして途切らすことがないのにも感心する。
監督は自身の前作の世界的な評価の後、自らウツを経験した時間を糧にして、制作に当り「人はどうすれば希望を持てるのか?」と問い、「希望は人と人との間にある」ということに行き当たったという。

その話も当たり前のようでいて、しんどい夫婦関係とか(笑)、その上での夫婦の関係の、水平にも垂直にも広がる天国、地獄の地平を経験し見渡し,世の夫婦が、どうであれ自らも振り返る余韻を持たせる映画になっている。

映画は全体を通し、その夫婦のターニングポイントの「事」そのものはあえて描かず、その事の前後の日々を描くことで、観ていて必要以上な重さを避けられている感じがある。
それが物語の終わりまでに、だんだんと薫ってくる清々しさを残すことになったと感じた。

監督・橋口亮輔
公式サイト
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Commented by さすらい at 2009-11-14 23:47 x
まさに私の生活も、ぐるりのことだけで過ぎています。物理的には、50メートル圏内で日常の買い物や郵便局のATMで間に合ってしまう。心理的にも、自分と飼っている鳥のことだけ考えればすんでしまう。遠くの世界は無条件に何事もないかのように思ってしまう。オバマさんの演説もテレビの画面の世界で、こちらは観客の一人に過ぎない。観客であればスクリーンの中には入っていけないと無意識に思っている。だから、自分が今も紡がれ続けているという歴史の中にいることを忘れてしまう。最近会ったのですが、何事も起こらないと思っていた知人が大手術をしたという連絡を受けるとうろたえてしまう。突然、動いている現実の中にいることを思い出してしまう。
映画は見ていませんが、夫婦関係は私にはわからない世界です。
Commented by past_light at 2009-11-16 01:26
ぼくなども、おなじようなものですね。ぐるりの猫とは付き合いも多いですが(笑)。
年齢的にはどうしてもまわりに健康の話題が多くなるのは増えますね。
中には確かに深刻なはなしもあります。
自分だって、危険からは除外されているわけではないですが、
とりあえずしばらくは死なないような気がしますが(笑)。
Commented by さすらい at 2009-11-16 04:06 x
 確かに健康の話は多くなりました。はじめは「疲れやすい」「肩がこって」
「老眼」あたりの話からはいって、周囲で大きな病気の話が出てくるようになります。昔よく、「病院は高齢者のたまり場」みたいなことをいう人がいましたが、無理もないと思うようになりました。気の病じゃなくて、本当にがたが来るわけですから。
戦国時代の武将の享年をみると、織田信長49,上杉謙信49,武田信玄54,長生きといわれた徳川家康でも72ぐらい。彼らの時代の人から見たら現代人は長生きです。
Commented by past_light at 2009-11-17 02:34
ぼくはどうも病院嫌いで、多少では行くことがなくて、もう何十年も行ってない感じですが,できれば死ぬまで縁がないといいなあと思ってますが(笑)、さていかなるものか。
とはいえ50代過ぎからは、とにかく老眼、疲れ目がいちばんおっくうな症状です(笑)。
最近では老眼も手術でなんとかなるようですが、経費は高そう。
公園でランナーのようなパンツとランニングシャツで、ストレッチしたり走ったり、筋力トレーニンしている元気な70ぐらいの老人がいるんですが、それも多少人前に見せる光景は気持ち悪いです(笑)。
Commented by さすらい at 2009-11-17 14:39 x
病院は出来れば行きたくないです。子どものときと歯医者をのぞいて55までは縁がありませんでした。通院人生の始まりは50代の後半からのようです。ご用心、ご用心。最初に行ったときは、受付の通り方もわからずどぎまぎしました。老眼は、見かけに関係なくやってくると言われました。Past_Lightさんの場合お仕事の性質上使いすぎるのではありませんか。目の手術なんて想像するだけでぞっとします。
時々元気な高齢の方に合いますね。70代の後半なのにテニスで走り回ったり。そういえば、ジョギングしている人も高齢の方がけっこう多いですね。
Commented by past_light at 2009-11-18 01:18
九州の家のおふくろは、70代後半ですが、今でも卓球をやっています。
まわりでも一番年上のようです。もうすでに生き甲斐ということですから、舞台女優みたいに舞台の上で死ぬのが本望かと思いますが(笑)。
いやいや、ぼくより元気かもしれない(笑)。
Commented by さすらい at 2009-11-18 13:57 x
それはすごいです。お母様は病気知らずですね。とても健康な家系のようですね。目指すは、森光子かまどみちおかな。うかうかしているとお母様に負けてしまいそうですね。ゲートボールでなく卓球というのがすごい。あれ、球が速いから目がついて行けなくなりそうです。
Commented by past_light at 2009-11-19 19:25
そうですね、でもやっぱり順当に膝や腰を痛めたり、神経痛のような辛さも言いますし、指を折ったり(笑)していますからね。
もう20年以上卓球やっていると思いますから、ママさん卓球の試合も楽しみなようです。数年前は高校生に勝ったとか言ってました(笑)。
Commented by さすらい at 2009-11-20 02:11 x
自分の楽しみを見つけていつまでも続けているというのはすごいことですよ。そのくらいの年齢の方は、テレビを何となく見ていたり、ひなたぼっこして時間を過ごす人も多いです。いつまでも能動的に生きているというのはすてきです。感性も若さをキープしているかもしれません。
今日は月に1度の病院通いでしたが、あらためて、来院者に高齢の方が多いのに気がつきました。廊下であう人の半数はそんな感じでした。
Commented by past_light at 2009-11-20 17:14
以前、人口も少ない田舎なのですが、病院だけは大きな建物が鎮座している風景に複雑な思いがしました。老齢の割合が高くなっているこもありますが、設備と医者の腕前、気持ちの方は比例しているのか、なんだか象徴的なものを見た気がします。
Commented by さすらい at 2009-11-22 00:26 x
BSの週間BOOKレビューで、詩人のまどみちおさんのインタビューをやっていました。車いすでしたが、今度100歳の誕生日を迎えられたとか。それなのにこの秋、2冊の新しい詩集を出版させています。
病院は、いつも混んでいて、診察する医師の方もひとり何分とか決めてやらないと消化できないような感じです。患者がベルトコンベアに乗っかって流れてきた部品のような気分で。子どもの頃、医者が家庭に往診に来てくれた風景が懐かしいです。今は、出産も脂肪も病院で、家庭の中ということは珍しい時代です。「我が家の主治医」というのがなくなってしまったようです。
Commented by past_light at 2009-11-23 15:55
100歳ですか、まだ健在といのうは知りませんでした。。。
ぼくの頃はまだ弟も家で産まれた記憶がありますから、田舎だったということもあるでしょうが、今ではほとんど訊いたことがないですね。
家で死ぬのもいろいろめんどうなようですね。病院にわざわざ運んで死亡確認などの手続きがないと後々面倒なようで・・。
のたれ死にもむずかしい時代です。
Commented by さすらい at 2009-11-23 23:07 x
Wikiによると、まどさんは、アルツハイマーを発症しているかど活動中とありました。この秋2冊の詩集を出版したというのは驚異的です。テレビでは、赤ちゃんのことをうたった詩の朗読がありました。100歳にして新鮮な感動を歌うというのはすごいことだと思います。
死亡は、医者の立ち会いがないと変死扱いされかねず病院だとすんなり死亡証明が出されるということですね。びょぅいんで葬儀屋の紹介もあるとか。昔は生まれるときは産婆さんが来て産湯もたらいだったですね。病院も産婦人科医が不足とか。たしかにめんどうな時代です。
Commented by past_light at 2009-11-24 19:18
「ぞうさん」は幼い頃の記憶がとてもあります。
きっと、こういう感性は子どもの心ですから、意外に歳を取るというのも先祖返りみたいに、幼心に再び近づけるのかもしれませんね。
Commented by さすらい at 2009-11-25 21:05 x
こういう子どもの感性を欲しいなと思うことがあります。何でも当たり前に見えだしたときから感性の摩耗は始まっているような気がします。子どもの頃は、蛇口から落ちる水が跳ね返る様子までがおもしろくて見入っていました。
by past_light | 2009-11-12 20:58 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(15)

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