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堂々と25%削減を応援(笑)
2009年9月7日、民主党の鳩山代表は日本の温室効果ガス削減の中期目標として、
2020年までに1990年比で25%の排出削減を宣言しました。しかしこの宣言に対し、
産業界や経済産業省は抵抗を強めています。

そこで、今月9月22日にニューヨークで開かれる国連の気候変動サミットにおい
て、鳩山新首相が堂々と25%削減を国際的に宣言できるよう応援のメッセージを
送りましょう。

鳩山代表が掲げる25%削減は、米国のオバマ政権が掲げる目標よりもはるかに高
いものです。鳩山代表のリーダーシップが、オバマ大統領にも強いメッセージを
送ることになり、世界的な気候変動対策の取り組みが加速されます。

みなさんの声で、日本の未来を、世界の未来を守りましょう!

★いますぐ、メッセージを送る!

https://www.greenpeace.or.jp/ssl/enerevo/switch2/?cyber

★詳しくはこちら。
http://www.greenpeace.or.jp/campaign/enerevo/switch2/?cyber

★ このキャンペーンをお友だちに伝えてください!
このメールをお友だちに転送したり、ブログなどで紹介して、広めていただけま
せんか?

★ グリーンピース・ジャパンのメールから転載

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管理人・ぼくが聞いた話では、このままでは10年から15年程度の時間しか残されていないという話もありました。たいへんだけど、ぼくらもう少し簡素で質素な生活スタイルを学ぶべきじゃないか。
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by past_light | 2009-09-11 02:43 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(46)
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Commented by さすらい at 2009-09-11 21:39 x
25%削減という数値目標が、具体的にどういう結果になるかイメージしにくいのですが、産業界などからの猛反対のコーラスが聞こえるようです。電力業界なら、そのコストを電気料金に上乗せしてくるでしょうし、他の業界も同じでしょうから、結局のところ我々が25%のコストを払うことになるのでしょう。我々の覚悟も必要ですね。電気一つを見ても,確かに無駄遣いが多いですね。いろいろな機器類は、スイッチを切っても微量の電気が流れているものが多いですし、エアコン、パソコンも使いっぱなしが多いです。電車の冷房など、ちょっと昔はなかったし、家庭では扇風機かうちわでしたから、わずかの間に質素からは遠い生活になってしまいました。生まれたときから今の生活の中で生きてきた人たちは、少し前の時代に戻るのも大変でしょう。
大部分廃線になってしまった路面電車を自動車よりクリーンなものとして再評価する声も出てきていますね。
Commented by さすらい at 2009-09-11 23:25 x
hpの方転載させて頂きました。
Commented by past_light at 2009-09-12 01:47
そうですね、具体的にイメージはしにくいです。
ただ、産業界の声はやや脅しに近い響きがあります。
アメリカの医療改革の反対派の声に似ています。

ただ、意識化されていくのはいいでしょうね。というか、必要ですね。
それからこの先加速的に省エネの動力とかは進むでしょうし、そういう方向の技術も加速的に取り組みが本気になるでしょう。
尻を叩かなければなかなか人間本気にならないということもあります(笑)。
まあ、海面上昇など目に見えて来た頃には、目を醒ますでしょうが,時既に遅しでは次世代は魚類に退化しないとやっていけないでしょうし・・。
Commented by past_light at 2009-09-12 02:30
あ、路面電車、大賛成ですね。
長崎はまだ走っているのだと思いますし,たぶん岡山も・・。
ぼくは子どものときに、電車か好きで、車掌セットを持ち歩いて遊びました。切符切りが楽しかった(笑)。
それにあれに乗って,「しゃしょーしゃんになる」と将来の夢を語ったようですから(笑)。夢は実現しなかったですが(笑)。
Commented by さすらい at 2009-09-14 02:50 x
歴史なんかを読んでみると、1万数千年前の最後の氷河期には、今より100メートル以上海面が低かったそうです。その頃文明のあったところのかなりの場所は、すでに海の底に沈んでしまっていると思われます。温暖化や寒冷化という自然の力はあらがいがたいものがあります。人が手を貸して温暖化を進めたとしたら、自分の首を絞めるようなものです。このあと、過去にあった自然の異変は、これからも起こりうるものですから、それに対処できるだけの人の技術を高めていくことは大切なことで、現在の温暖化の問題はにんげんが試されているようにも感じます。世界で力を合わせ向かっていくしかない問題で。
路面電車の復活賛成です。最後の職場の近くには、都営荒川線が走っていました。前の電車が遅れると、後続電車が、数10メートルぐらい離れて待機している、あののんびりした風景がいいです。車掌セットのおもちゃ記憶にあります。切符に自分でパンチを入れるときのあの快感。今の子はかわいそうですね。自動改札ごっこではおもしろくありません。ミニスイカやミニパスモをかざすだけなんて(笑)
Commented by past_light at 2009-09-14 19:35
モルディブなどが本当に衝撃的に沈みだしたら世界は少しは目を開くでしょうかね。
それではモルディブが取り返しきかないわけですが、世界の地図が塗り変るような象徴になる前に本気出さないとまずいですね.
お車掌さんセットは紙の箱でできていましたが,切符切りはブリキだったんでしょうか。
ああいうおもちゃは不思議な味が情緒的にも記憶に残りますね。月刊漫画誌の付録も紙で作るものがほとんどでしたが、ほぼ出来上がり状態のプラスチック製の付録が多い時代になったのもぼくなどが中高生になるころからだと思います。
紙で作るというのは今の子だとめんどくさいと思うんでしょうか。
Commented by さすらい at 2009-09-14 22:14 x
モルディブは危ないですね。海抜いくらもないでしょう。だいたいどこの国も、海よりに町や工業用地を持ってきます。船の使える場所となるとどうしてもそうなってしまいます。ですから、今使われている海岸沿いの町は、温暖化の直撃を受けるでしょう。他のことで争っているよりも英知を集めて温暖化に立ち向かう時です。宗教者なら神の試練とでもいうでしょうか(笑)
男の子は工作キット、女の子は着せ替え人形みたいなものが人気あっ他のような気がします。
そういえば、近年大人向けの工作キットも売っていますね。「動くお茶くみ人形」のキットを何年も前に店頭で見かけました。パソコンの自作用のコーナーもあります。材料や内容が変わっても、男の子も女の子も幼い日の興味は今も変わらないという気がします。あるいは大人になっても。
Commented by past_light at 2009-09-15 01:23
紙の与えた試練・・というのは紙さんに責任なすり付けで失礼ですね(笑)紙の試練は付録で楽しみましょう(笑)。
海抜だけでなくて、気候変動で大型台風とか自然災害の心配も増えそうですね、すでにここ数年目に見えて目だつ気もします。
そういえば、蝉とか昆虫類とか虫類などが近年生息地を北上してもいますね。
これは関係ないと思うけど,最近久しぶりに庭で蛇を見ました。しかもまだこどもでした。

大人向けのキットは学研のを以前三つほど買いました。
どれもほとんど出来上がりに近い状態のものを組み立てるだけの物が多く,工作感は少ないです。まあ、プラスチック素材と金具や電球などでは、作れる幅が少ないのは確か。

紙の工作付録は、実に素朴でしたが、毎号いろいろアイデアの凝った物でした。
Commented by さすらい at 2009-09-16 01:05 x
大型台風発生の可能性というのはどこかでよみました。温暖な気候の北上で、日本もマラリア発生域にはいるとか、ヨーロッパの葡萄酒の産地が気候的に合わなくなってしまうとか、予想できないことがおこりそうです。
大人向けキットは学研でしたか。今の子どもは、障子に映す影絵ごっこはやりますかね。
最近の人の今一わからないのがコスプレでしたが、かんがえてみれば、風呂敷をつかって月光仮面ごっこをやったからあれがコスプレの元祖ですね。コギャルの極端なメークは、着せ替え人形の変形かな。
雑誌といえば月刊誌でしたが、付録が楽しみで買ったこともありました。当時の編集者もアイデアには苦労していたのでしょう。
アイデアといえば、以前「王様のアイデア」というコーナーがあちらこちらにありましたが見かけなくなりました。
Commented by past_light at 2009-09-16 17:24
子どものときのあこがれのひとつに映写機
スライド映写機やレコードプレーヤーがありましたが、それらもそういう組み立てキットであります。むかしの紙の付録でもありました。わくわくして作った後にはどうしても本物には何次元も到達できない不満もやはりわきましたが、それでも作る楽しさとできあがり出てくる世界にはそれなりの楽しさ満足感はありましたね。
Commented by さすらい at 2009-09-17 01:10 x
幻灯機というのもありましたね。おもちゃの映写機で、ミッキーマウスかなにかのマンガを見たことも記憶にあります。フィルムの断片がちょっとした宝物でした。きれいな石やフィルムなど、当時の宝物を箱に入れて、地面に穴を掘って埋めたおぼえもありますが、掘り出した記憶がありません。今もタイムカプセルになっているかとおもうとおかしいです。
Commented by past_light at 2009-09-17 20:05
ああ、映写機というより幻灯機ですね。あのころの呼び名は。
セロファンのフィルムのカラーはなぜか懐かしい。少しトーンの落ち着いたいい色合いです。

タイムカプセルのようなことになっている埋蔵品は(笑)きっと多くの人が記憶の底に忘れているものがありそうです。
Commented by さすらい at 2009-09-17 22:42 x
古い時代の探偵小説を読むと、なぜか幻灯機を連想します。映写システムの一番の素朴系は,雨戸の節穴を通してて,障子に映る景色でしょうか。
タイムカプセルは、あちらこちらの学校でもやったという話を聞きます。同窓会のときにでも掘り出すのでしょうか。男の子の小さいときは、秘密基地めいたものが好きで、私も,伊勢湾台風で床下浸水にあったあと、砂の堆積した河原の砂地に,深い穴をほって地下室もどきを作ったことがあります。今考えると、そのまま崩れれば、生き埋めになっていたわけで怖いもの知らずもいいところです。
Commented by さすらい at 2009-09-19 00:44 x
心の中の埋蔵品は、なぜか古い時期の方が鮮明です。ただ、自分がおぼえているはずのない時期のものが出てくることもあり、記憶の再編成という魔術に引っかかってしまうことがあります。
Commented by past_light at 2009-09-19 01:37
「雨戸の節穴を通して、」というのは淀川さんとか大林監督も映画、映像の原初的体験として話していたと思いますね。
よく物置とか押し入れなどの暗闇の中に扉の節穴などからもれる光が壁に外の景色を逆さまに映す、という体験など,初めてのときは興奮すると思います。
それに闇の中から、小さな点から、外を覗く光の世界というのも、実に映画、映像という物の原点の体験に思えますね。
自作で幻灯機を作った時がありましたが,どうしてもレンズの適当な物がなくて虫眼鏡などで代用したりしていましたが、あれでもただそのままスライド用のスペースから漏れて映り込む光景がありました。子供時代だとなんでも驚きですから、楽しい一人遊びになりますね。

記憶の再編成というのも、魔術と表現すると、なにか楽しそうですよ(笑)。
Commented by さすらい at 2009-09-19 02:25 x
 子どもの時は、過去も未来もなく、いつでも、「今」を生きていたような気がします。おっしゃるように、何でも驚きで,計算も思考もなく、すっと目の前のものに引き込まれていきました。そんな感性が今も欲しいものです。
 ミロの作品は、どんな気持ちで描かれていたのでしょう。よく、子どもの絵ですごく感動させられることがあります。でも、どうやっても、子どもの時のようには絵を描けないです。
Commented by past_light at 2009-09-20 02:21
子どもの絵では、まず人に見せる意識のないまさに無我夢中で描いたものなどにぼくらはびっくりさせられるんでしょうね。
ただ不思議にもどんな子もその後失うもののようです。

それで、もういちどそういう感性を取り戻そうと試みることをピカソとかクレーやミロなども経たような気がしますね。
ピカソはアカデミックな技術を早くから持っていたので、まるで晩年へ向かうに従って幼児的な表現をあからさまにしている感じもします。
三人とも好きな画家なんですが,ミロの奔放さと開放感などはとても気持ちのよいもので、一時は彼の絵ばかり観ていた時がありました。ミロは素材に自分の「うんこ」(笑)を使った絵もあるそうですが(笑)。コレクターは知っているのか知らぬが仏か、知っていてもありがたがっているのでしょうか・・不明(笑)。
Commented by さすらい at 2009-09-20 02:48 x
 長いこと小学校で教えていましたか、音楽と並んで、図工が楽しかったです。子どもの絵にはいつも感心しました。その二つの科目を,専科でなく、自分で担当できるので、低学年を受け持つのが大好きでした。
 初めて受け持った1年生の男の子が、展覧会の自分の絵を見ながら、「ぼく幼稚園の時は絵が下手で大嫌いだったけど、好きになった。」という意味のコメントをしたときにはっとしました。もしかしたら、これまでほめられたことがないのか、けなされていたばかりだったのではないかとかそういうことを感じたんです。そして、絵というものは子どもにとってとても大切な科目だと思いました。自分ががんばって得た成果を自分で見て確かめられる。その後の担任の時にも、絵の苦手だった子が、自分の絵を見て納得して自信を持ち好きになる場面に何度も会いました。
Commented by さすらい at 2009-09-20 02:48 x
 ピカソのごく初期の絵を写真で見たことがありますが、とにかく上手で驚きました。あのままの職人的な絵描きでも成功したかもしれないですけど、決して「ゲルニカ」のような感動的な作品は書けなかったでしょう。彼のクリエイティブな姿勢を拍手したい気分です。ミロやクレーは、有名になってからの作品しか知りませんが、初期にどんな絵を描いていたのか知りたい気もします。
Commented by past_light at 2009-09-21 01:57
小学校時代は、ほぼ担任の先生がすべての授業をやっていた記憶がありますね。
そういえば、むかしは誉められるというのは少ない行為(笑)でしたね。
これはぼくが・・という意味は置いておいて、全体的に世の中の学校、家庭がそうだったんじゃないでしょうか。しかる、ということで教育しようという空気だったような気がします。
いまでは、叱る方がむずかしくなって、なんだか奇妙な逆転ですが,かといって、ほんとうに誉めるべきところが誉められているかは疑問ですが。

ピカソの少年時代の写実はたしかにうまいのですが、伝わってくるものはないんですよね。それは本人も自覚していたんじゃないかと思います。
で、ずいぶん違う方向から絵に取り組み始めたという気がします。
ミロやクレーも極く初期の絵は、だいたいその時代の多数派の世界から遠くないものですが、すぐに自分の世界へと移動するのが才覚のある人の特徴のようです。
Commented by さすらい at 2009-09-21 02:12 x
東京の小学校の場合、規模にもよりますが、音楽と図工は、高学年はたいてい専科、大きい学校では中学年から専科で、低学年は担任というパターンでした。私は中学年までは、自分で教えたことがありますが、高学年は必ず専科の先生がいました。
そのせいか低学年を教えるのが好きでしたが、せんかがいるので,自分で図工や音楽をしなくてもいいと高学年を希望する先生も昔はけっこういました。
ピカソのお父さんは、確か職人的な意味での絵描きだったのではないでしょうか。それで、子どもも職人絵描きとして育てたのではないかと思ったのですが。
初期の作品がアカデミックというのは、周囲の事情からやむをえないのでしょう。そのままで終わってしまうか、そこから展開できるのかは、その画家次第ですね。絵画教室というとすぐ思い浮かぶのがデッサンのときの石膏像です。自分もやらされた記憶があります。
音楽でも絵画でも、優れた作品を残している人というのは、「自分の表現」を見いだした人ですね。
Commented by past_light at 2009-09-21 19:22
アカデミックといっても、時代のスタイルですね、それから次の時代に向かうようなスタイルをみんな模索することが多いですが,20世紀には大きくその変化も多様になった感じですね。それ以前はピカソのようにアフリカなど異文化から影響を受けるということはほとんどなかったんじゃないかと思います。
このへんは、まあ子どもの感性だけというより、いわば複雑になる次元なんでしょうか。ですが、もともとの作家の動機みたいなものは子どもの好奇心や自由さと重なる物だろうという気もします。
Commented by さすらい at 2009-09-22 02:22 x
 印象派の時期の画家を調べたことがあります。学校の授業や発行されている画集だけで考えていると、あの時代は、なんか一斉に印象派にかわったような錯覚を持ってしまいそうですが、印象派ではない人の名前がたくさん出てきます。そううちの何人かの作品はたまに見かけることもありますが、まとまった画集はみかけません。
音楽も似たような事情で、生前人気のあった作曲家が、今では文献でしか名前にお目にかかれないことがあります。生前無名で,今は有名という人もいます。時代を超えて生き残っている人というのは、少なくとも亜流作家ではありませんね。
Commented by past_light at 2009-09-22 20:52
印象派も、けっこう個性がそれぞれでおもしろいですね。
イメージとしてはピサロでしたか印象派の典型的なスタイルを確立したような感じですし、モネはだんだん光に照らされる抽象的な画面のようになるし、セザンヌはまた全然違う世界だし、ゴッホはすでに印象派とは呼べない感じですし,ゴーギャンはもう次の時代という感じです。
各画家を丹念に観て行くと、よくよくみればひとくくりにするのはもう無理というものです。
Commented by さすらい at 2009-09-23 01:40 x
印象派とひとくくりにしてしまいますが、これは画工なんかでの刷り込みの影響が強いのかもしれませんね。モネなど、初期と晩年の絵はずいぶん違うし、そういう目で見ていけば、一人一人の絵が違っていて,それぞれ進化していますね。ゴーガャンを見ると、エミール・ノルデの世界を連想してしまいます。アイリ・ウォーホルのようなポップアートあたりになるともうついて行けません。
Commented by さすらい at 2009-09-23 22:19 x
すいません。画工は学校の誤りです。
Commented by past_light at 2009-09-24 20:13
画工の学ぶとこも、やっぱり学校だから、遠くないです(笑)。
Commented by さすらい at 2009-09-24 23:03 x
ロマン派の文学の影響なのか、音楽も絵画も、作家の独自性に向かい、評価もされるようになったのは19世紀かな思います。それ以前も個性的な表現はあったのですが、19世になって,猛烈にオリジナリティの追求に向かっていくようにみえます。美術でいえば、トイレの便器を作品にしたもの、音楽でいえば、登場したピアニストが1回も音を鳴らさないで3分あまりして退場してしまう作品など、他の人が同じことをしても二番煎じになってしまいますから、究極の独創性?なのかな。
Commented by past_light at 2009-09-25 01:36
一回性の衝撃や新しいアイデア、思考,,観念、などはそれ故の価値がありますね。お話ものはデュシャンの便器とジョン・ケージのコンサートですね。
ただ、二回やるとだめなので、みんなまねできず、頭を抱えたでしょうね。
そこで、芸術は天災ウォーホルによって、複製芸をマーケットに潤沢にそろえられたんだろうかと(笑)。でもやはりこれもウォーホル一代で終わるしかなかったのだと思います。そういう意味では個人的なものと社会的に向かったものと二種に芸術も別れたところがありますね。
Commented by さすらい at 2009-09-28 03:29 x
ああ、詳しいですね。その通りです。デュシャンとジョン・ケージです。ケージのその作品をMIDIで音にしたと行っていた人がいましたが、どんな音になっていたのでしょうか。ウォホールの作品をいくつか見ましたが、とうてい他の人はまねできませんね。他の人はまだ別のところから出発するしか在りません。デュシャンの作品は二つぐらいしか知りません。音楽に関して言えば、20世紀の前衛音楽がどれだけ生き残れるか疑問もあります。もっとも,ベートーベンにしてもシューベルトにしても,その時代の中では前衛だったわけですが。
音楽は、昔の曲の再現芸術色が強くなり、新しい作品の話題よりも、以前の作品の演奏の仕方についての話ばかりになりました。
Commented by past_light at 2009-09-29 01:09
若い頃に一時、デュシャンは関心を持っていました。
コンセプチュアルアートの元祖みたいですが、タブロー時代の無機質的な未来派みたいな絵もいっとき興味があったのです。
意外に心理学的というか、どこかマニアックなエロティシズムがあるんですよ。

なるほどそういえば、前衛,という言葉自体があまり聞かれなくなりましたね。
Commented by さすらい at 2009-09-29 01:18 x
NHKBSの「迷宮美術館」でデュシャンが取り上げられましたね。
デュシャンを知ったのは,だいぶ年齢を重ねてからでしたが、学生時代でしたら、夢中になったかもしれません。その当時は、私の周囲にはシュールレアリズムの信奉者がいて,ダリあたりは話題になっていましたが、デュシャンは出てきませんでした。まだ、あまり作品の紹介がんかったのかもしれません。絵の方は記憶にありません。名前がちょっと似ていますが、ベン・シャーンという人の作品は何かで見ていました。
Commented by past_light at 2009-09-30 01:35
デュシャンは、「ダダ」のなかで時代的には登場しますが、その後の活動は独特でしたね。ずっと図書館勤めをしていたようで。
シュルリアリズムは一応否定的なポジションでしたが、友人は多かったようですし,晩年の対談本で「シュルリアリズムは、私にとって最も美しい青春の夢のあらわれ」と実に詩的な言葉を言っていたのが印象的でした。

ベン・シャーンは線のタッチが好きでした。イラストとしても有名ですが,タブローもいいのがたくさんありますね。
Commented by さすらい at 2009-09-30 23:21 x
ダダにくくられるのですか。日本では高橋新吉という人がダダイストだったかな。ダダは散文の方でオートマチック(自動記述)というのにちょっと興味を持った時期が在ります。その後はフォービズムの方に傾斜していきましたが。ルオーなどは大好きで展覧会に何回か行きました。
Commented by past_light at 2009-10-02 01:21
いえ、ダダにくくられるわけではないです。ただ時代的にダダから,シュールの時期に登場してるのですが、その後は本人は特に無所属という気持ちだろうと思います(笑)。
そういうことでいうと、ミロなどもシュールの系列で紹介されたりしますが,本人はまったく否定していますからね。まあ、周りがどうのこうのという部類のことですね、こういうものは。

詩の世界では自動記述はかなり大きな出来事だったようですね。
それでも創造というものには、どこかしらそれが必ず潜むような気がしていますが。
Commented by さすらい at 2009-10-02 02:31 x
そうですよね。すぐに○○派だとか○○主義とか簡単にくくってしまいますが、一人一人は,おのれの道を歩いているわけですから。ルオーとマチスが同じフォービズムにくくられているのを見てなんかおかしいなあと思っていました。ダダイズムという運動やシュールレアリズム宣言などというものがあったとしても、一人一人の画家は自分の道を歩いていたわけですよね。
Commented by past_light at 2009-10-03 02:20
そうですね、それもありますし、一人の画家も生涯で遍歴がありますね。
マチスだと、フォービスム的な画風から,その後やはりキュビスムの時期があり,独特な色彩の楽園へと移行していきますが,美しい世界ですね。マチスのオリジナリティもすごいです。
Commented by さすらい at 2009-10-03 04:20 x
「何々派」というのは便宜的に使われますが、それで自分の目を曇らせないように気をつけます。マチスにしても、ピカソにしても、いつも発展していますね。逆に、一つの様式に到達したあと、ひたすら事故模倣を繰り返すような画家ですと、がっかりさせられますね。
Commented by past_light at 2009-10-03 19:41
そういう意味で言いますと、音楽,映画などでも、ぼくら作家、監督にお気に入りの作品,同じ傾向の作品を期待してしまうというわがままは存在しますね。
考えてみれば、拡大すると日常、周りの人にも同じイメージを固定しがちだということもあるような気がします。だれも変化と多面性を発揮したいでしょうし(笑)。
Commented by さすらい at 2009-10-04 00:11 x
 最初に見て強烈な印象を受けた映画ですと、次の作品も同じ同じようなものを期待してしまいますね。音楽にしろ、映画にしろ、様式としてはその人の独自な世界を創ったとしても、優れたと思う人の作品は、一つ一つ違っていて,決してマンネリではありませんね。エリセ監督の長編3本も、それぞれオリジナリティがあります。「マルメロの陽光」を見たときに強くそれを感じました。私に巨大資本でもあったら、エリセ監督に,思うとおりに映画を撮って「いただき」たいと思います(笑)
Commented by past_light at 2009-10-04 01:43
巨大資本のある人は世界に何人もいるんですが,お金持ちほどなんとか・・ですから(笑)。
Commented by さすらい at 2009-10-04 03:48 x
その一人でなかったのが残念。可能ならばやりたいことはたくさんあるのですが。文化事業、世界の格差を減らす事情。そして、なによりも、グローバル化の時代の人類を一つにまとめ、できたら、地球を1つの国にする事業のための研究。世界共通言語の開発とか、共通貨幣の発行とか。医療の研究とか。世界の所得の再配分とか。勿論、現在の各区に地域の文化を残した形で。夢だけはでかいですが、月15万の年金ではね。
Commented by past_light at 2009-10-05 19:21
夢ですけど、いずれ人類は仲良くならないとどうやら滅亡ですからね。かれこれ夢でいる時間は長いですが、これまでの悪夢はもっと長いというべきですか、やれやれ・・。
Commented by さすらい at 2009-10-06 02:30 x
ホモ・サピエンスがここまで来るのに20万年かかっていますから、あと20万年かかるかもしれません。そこまで行く前に滅亡という悲しい結果の出ない子とを祈るばかりです。思考実験的に言いますが、人類を一つにまとめ仲良くさせるリーダーが現れたら、果たして人類はしたがうでしょうかね。
Commented by past_light at 2009-10-06 02:56
>人類を一つにまとめ仲良くさせるリーダーが現れたら、果たして人類はしたがうでしょうかね。
偽予言者の話がありますが、「木は実によって知られる」という視点からいうと、「良い実」をつける木かどうかということですが・・。
「仲良くしないと地球は危ないですよ」という警告は「良い」と思いますよ(笑)、で、「誰だろうと、俺に指図はさせねぇ」と罵倒するのは海賊でしょう(笑)。
Commented by さすらい at 2009-10-06 23:10 x
地球という気にとって、人類は良い実だったのでしょうか。まだ熟していないだけで。
海賊もいるけど、立派な人もいる,その多様性が人間かもしれませんが、多様性から成熟した実がうまれることを祈ります。もっとも大部分の人間は、立派でも海賊でない、その間の曖昧なところにいるのですが。