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ベーシックインカムについて入門
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★ベーシック・インカムとは何ぞや/田中康夫

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by past_light | 2009-08-14 02:35 | ■ちょっとミニメモ | Trackback | Comments(30)
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Commented by さすらい at 2009-08-15 21:59 x
公務員もいろいろあるようですね。東京都の場合、2000年を境に、我々がそうだったような下級公務員の世界は、賃カツがあり、それまで無かった一種の非正規雇用の身分のひとが増えてきています。時間講師という名のパートタイムが増えています。教員にも官僚的上意下達のシステムがとりいれられて問題なっています。教員の場合他と比べてはっきり恵まれているのは、男女同一賃金かな。全く扱いは同じでした。
Commented by past_light at 2009-08-16 02:25
ああ、公務員とひとくくりに言われるのも失礼ですよね。
考えてみれば、公務も民間も「仕事」としては同じなわけです。
また、携わる人の意識もそれぞれちがいがありますでしょう。

ぼくはあまり公務員の実情の知識には乏しいですが,まだコイズミ改革直前の郵便局のアルバイトを経験した事では,かなり内部では「会社ですから」という意識を持とうとしていましたね、言葉でも訊きましたし。
内部の仕事はアルバイトとはいえ、仕事は重労働の類いに含まれると思いましたし、その割に時給の低さは月にしたら生活保護レベルを下回るもので、それで生活する方は残業を当たり前にしなくてはならないような感じでしたね。
民間企業にする、という手前ですが,とてもじゃないけど、パート,アルバイトの人には公務員的な組織に属するメリットは全く皆無だと思います。
見た範囲では長年つとめてきた方が退職するケースを見ましたが,そのときは感じたかな(笑)。
Commented by さすらい at 2009-08-17 00:06 x
公務員の世界も非正規雇用のような扱いの人が増え,正雇用でも賃金カットの人事院勧告が出ていますね。民間も企業格差が大きいですね。高級官僚の待遇や天下りには低級公務員も反発を感じていると思います。
また、上場大手の退職金は、私なんかのほぼ2倍もありました。まして、中小企業の人は苦しいでしょうし、非正規雇用の待遇にいたっては冷たいものです。首になり社宅も追い出された人の話はひどいものでした。富めるものは痛まず、貧しいものはより貧しく,この社会は進もうとしています。お隣の大国なんかもその傾向がありますが、日本もいよいよひどくなっていきそうです。政治の問題は大きいです。世襲議員なんてのは理解できません。もっともリーダーを世襲化している不思議な共産国家もありますが。わかるのは、いわゆる支配階級というものが、すべての国民を幸せにしようという理想を掲げているとは思えないことです。
Commented by past_light at 2009-08-17 02:45
もし、富める者が本当に世界を,国を人を思っているなら,まず誰もが生活をすることが容易である状態を考えるだろうと思いますね。
だからきっと、宇宙的に見ると,地球、世界を見れば、人間の次元が悲しいレベルであろうかと、宇宙人は思うわけです、ピピピ・・。
Commented by さすらい at 2009-08-17 02:55 x
形は変わっても既得権益を持つ者たちは自己否定はしないでしょうから、おあまりを配っているだけのことかもしれません。
私は最近集中して古代史、それも記録の残る以前のホモサピエンスの関連の本を読んでいます。戦争とか富の独占とかはそもそもホモ・サピエンス生来のもの七日の疑問を持ったからです。誰もが所有の概念の無い狩猟生活時代はあったのか、好走はったのか、それともそれらは,進化の途中で獲得した文化の一つなのかという素朴な疑問です。
Commented by past_light at 2009-08-18 15:40
人類が当初から問題をはらんで進化してきたかというのは、アダムとイブだと神話ですが,当初は単純な欲望と暴力が、巧妙に進化したといえばそんな感じに思えますね。
殺戮もテクノロジーで規模も動機も変化したでしょうし。
あまりに進化していていないのが、人の内部,根幹の心理の分野だというのが感じられるところです。
それで、現代の人間はより危機が増大しているようです。
Commented by さすらい at 2009-08-21 22:52 x
七日->なのか。好走->抗争。
すいません誤字だらけで。5時に書いたわけでもないのに。
はじめは獲物に向けられていた槍や弓が、人に向けられた瞬間があったのですね。日本でも、生来の縄文人の遺跡、遺物から武器は見つかりませんが、弥生人が入ってきてから,農具だけでなく武器も入って来ます。同じものが道具から武器に変化する。これも文化の変容なのでしょうか。人に向けるという発想が生まれ,実行されたところに、地雷やクラスター爆弾と通じるものを感じてしまいます。
Commented by past_light at 2009-08-22 01:38
爆弾を作り出して、兵器として使用するアイデアを思いつき,その遠方から冷徹に見た威力に喝采した瞬間があったわけですね。それがマニア的に追求されていっぺんに犠牲者を増やすことがうれしかった瞬間,・・どうも人間は狂っていますね。
Commented by さすらい at 2009-08-22 04:45 x
赤ん坊まで虐殺したという記録もあります。普通の人の中にそんな狂気のあるのが怖い。それを命じた指導者の系譜が現代も続いていることも。
自分がその場に立たされたとしたら、と考えたとき、自分もしんじきれません。
Commented by past_light at 2009-08-22 16:28
考えてみれば,ごくふつうの日常にいるふつうの市民と言うひとが、いろいろ意地悪したり,ウソの噂を立てたり,・・もう話題に事欠かない事件もありますので,いわゆる非常時には推して知るべしなのでしょうね。
そういうものが指導的立場にいたら、もう破壊的です。同類は洗脳は容易ですね。
Commented by さすらい at 2009-08-22 23:15 x
人というのは、想像力に富んだ存在なのか想像力に欠ける存在なのか考え込んでしまいます。平らに見える壁も近づけばでこぼこがあるような、人というのはそんなものかな。私たちが「普通の市民」であることを前提にして生きていくしかないですね。だからこそ、人がむき出しになるような瞬間を作ってはいけないですね。
Commented by past_light at 2009-08-23 00:59
ひとと、ひとくくりにできないというのが、振幅の大きいことが多分動物界よりも言えるのかなとは思いますね。
ぼくが思うのは,たぶん思考、観念などのレベルより,もっと奥の、というか心というと曖昧すぎるのですが,魂というと神秘的すぎるし・・(笑)
ぼくは「おなさ心」とも表現されるものだと思うんですが,洗脳されえない,条件づけられない、人間の内奥からの、根幹からの発露みたいなものを期待しているんですが・・。日本語だと「良心」というのが一番近いのでしょうかね。抽象的ですが...
Commented by さすらい at 2009-08-31 17:39 x
なるほど、文化とか形式とかいったものを取り去った生のままの人と言うことですか。
Commented by past_light at 2009-09-01 01:07
もしかしたら、イエスが「幼子のようになくば・・」と言ったのもそういう意味でしょうか。
いろいろ付属品で鎧を固めると、何が自分か、本当かわからなくなりますしね。
漫画的にいうと,「心の目で見なさい」と吹き出しに書かれるんでしょうか(笑)。
Commented by さすらい at 2009-09-01 23:56 x
「幼子」というのは、生のままの人間という意味かもしれませんが、「幼子」が言葉を身につけるにつれ,言葉と一緒に次々と殻を身につけていくことになる。「成鳥」する家庭というのは、付属品を身につけていく過程とみえなくもありませんね。子どもぐらいでは、けんかもとっくみあいですんでいましたが、大人になるとそれではすまない。
先日の選挙もとっくみあいで当選が決まるというシステムにしたらやるたびにどんな結果が出るかわかりません。実際に選挙戦で話される言葉は、鎧だらけでしたよ。
Commented by past_light at 2009-09-02 17:54
大まかだと、「自我」が生まれて形成される過程で大人という人間が出来上がるような感じですか。
三歳ぐらいまでは、まだまだでしょうね。だから幼児期の体験はその後にけっこう大きな影響はあるでしょう。
幼児教育というのはそもそも家庭の「愛」が問題で、残念ながら詰め込み式の勉強じゃないでしょうね。
Commented by さすらい at 2009-09-03 00:44 x
「自我」が生まれて形成される過程はいつまで続くのでしょうね。別の言い方をすると,大人になってから人間は成長を続けていくものなのでしょうか。「成長」をずっと続けている人の礼に興味があります。幼児期の体験は,ある程度子どもに「色」をつけるのかもしれません。家庭でのあり方は結構子どもの行動にも反映していたりします。暴力をふるう子が家庭では暴力を受けていたケースも知っています。おっしゃるように、幼児教育は、知識教育と同じではありませんね。学校もまた知識の伝達だけでは教育とはいえないと思います。
Commented by past_light at 2009-09-03 02:42
「自我」って、分離意識が目覚めるというか、始まることから現れているものでしょうか。
赤ちゃんは「自分」という意識をまだ持っていない状態らしいですか、あるがまま、というとそういうことになるでしょう。
自分と他者という意識ができ始めると比較とか優劣の意識もいろいろとできあがりそうですね。されに拍車をかけるのが親とか社会な訳で。
そういう意味でも大人の鏡になっていきやすいから、大人は自ら教育されないとまず教育も無理でしょうか(笑)。
解毒剤は無条件に伝わる注がれる愛情というのは定説でもありそうですが,大人自体が解毒剤に乏しい・・(笑)。
絶望的に話がなりますが,まあ共に学ばなくちゃならない段階でもあるのでしょうね。
Commented by さすらい at 2009-09-03 02:57 x
現役中は、子どもと教師は,共に教え合う存在だと意識していました。
子どもたちは,10歳を超えたあたりから変わってきますね。自我の目覚めかもしれません。大人たちに対して批判的になったり,自分の客観視がコントロールできなくなって,一時的に自分の感情のフィルターを通して物事を見る傾向が出てきたり。そして、異性に対する意識が出てきて、一時父親を嫌う女の子が出てきたりすることもあります。
でも、確かに、子ども世界は大人社会の縮図という面もありますね。
だから、大人になってもなお、自分を成長させていくことのできる人は立派だと思います。
Commented by さすらい at 2009-09-04 01:06 x
大人の教育は,子どもの教育よりも難しいですね。一度固まってしまった自我を解きほぐすのは大変です。それでもときに、いくつになっても成長をしていく人がいるから不思議ですが。新鮮な感受性がいつまでも残って居るのだとしたらうらやましいです。
Commented by past_light at 2009-09-04 01:31
自我から自由になる。ある意味では,真の宗教的な態度というものかもしれませんね。
蓄積したものから自由になる。よく執着といいますけど、物よりも観念の方が実は大変だと思います。だから人間、怒るし対立も戦争も絶えないわけで(笑)。
人間が観念の上ですべての人が合意するのは永久に不可能だろうと。
それを互いにほんとに知り得て、そこから平和というのは考えるしかないかもしれないですね。はなしずれました。
Commented by さすらい at 2009-09-06 00:08 x
金子みすゞの「みんなちがってみんないい」ですか。一人一人が違っている、たとえ双子合っても違っている、それで自然なんだということを観念だけでなく,実感でみんなが感じられるようになれば、言い訳ですがこれがむずかしい。子どもなんかだと,小さい子はけんかのあともわりとすぐに仲直りできますが、ある程度の年齢になると難しくなります。好悪の感情も微妙にむすびついてしまいますし。
Commented by past_light at 2009-09-06 02:09
観念というとピントこないので、考えたこと、思考という方がいいでしょうね。
違いは、どうしょうもないですね。無理に一致するというのもうそでしょうし。
普通だと「妥協案」などと政治の世界などでは特に用いられますが。
現実的には違いを調整してやりくりするほかないでしょうが。
違いのあるこの相対界はいいもわるいもそういうようにできてますから。
それで宗教的には絶対界、仏教的には仏性、キリスト教的には天国などが差別へただりないものとして、これも観念としてとどまっているわけで。自我からは違い、好悪好き嫌いしか認識できないので、自我からの自由、解放をいうわけですね。
Commented by さすらい at 2009-09-06 23:25 x
そうですね。違っているのは当たり前で、そういう相対思考のできることが、人間すべてが共存していく必要条件でしょうか。何かひとつを絶対化したらそれ以外はすべて悪になってしまいます。それならすべてが全部善か,すべてが悪か、そんな考え方の方がまだ現実的かもしれない。あとは、善同士あるいは悪同士がどうやって調整し合って行けばいいかを考えればいい。ちょっと極端かな。これだと冷戦時代の核抑止力の考えみたいになってしまう。
Commented by past_light at 2009-09-07 01:26
「人間がイデオロギーの域内で生きている限り,戦争は避けられない」とクリシュナムルティという人が言っておりましたが,宗教も含めてそういうことでしょう。
で、つぎは人類はその域内から人間は出られるか,という問いに直面するんでしょう。
Commented by さすらい at 2009-09-08 23:18 x
イデオロギーという衣がなくなったとしても、人口に対する食料や水の絶対量が足りなくなったときの人の行動も心配です。それもまた戦争の動機になるでしょう。まるで、「神」によって人口調節がなされるように。
Commented by past_light at 2009-09-09 00:43
イデオロギーですが、政治思想や宗教的なものだけではなくて、広い意味で言えば思考原理主義的だといえるものに固執することでおこる限界を指すのかな,と思いますね。
ごく身近に人間が持っている偏見とか差別意識とか好悪による排除、逆には同種と見て群れをなすという傾向も入るんだろうと思います。
そういう意味でいうと、思考が感情と結びついている価値観を気づかずに当然としてやり過ごしているぼくら人間の課題はかなり大きいと感じますね。
すでにいろんなところで貧困からの爆発が権力側との暴力的な衝突になっているようです。
これはやっぱり人間がハートからは物質的にも分け合うことができずできず、物質的にも有利な側が自分たちのポジションを維持したいが為の、繰り返されている歴史なのでしょう。
しかしいくら保守したくとも、にっちもさっちもいかなくなる時点が来るとは思います。
Commented by さすらい at 2009-09-09 02:56 x
そうですね。私は,ホモ・サピエンスが獲得した文化の多様性の中に、イデオロギーや宗教、言語、風俗習慣、人種観、民族主義、差別や偏見などが入ってしまっているような気がします。文化というのは,もしかすると諸刃の刃なのではないかと。
豊かな者たちは既得権を手放さないだろうし、貧しい者は豊かになろうとする。両者の中間点にみんなはいれば解決するとしても、そうしようとする人は少ないでしょう。人間もその文化も,次のステージにに行けるかどうか試されているような気がします。
Commented by past_light at 2009-09-10 01:36
ニュースの記事などで、ぼくなどわからないなりに見聞きするのですが、国際ファンド、通称「ハゲタカ」が貧困国の債務などの流用に群がって、ますます貧困を深めるという話がありました。
まさに金に魂を売った頭脳だけはよく回転するハートの抜け殻が存在するのが現実ですからね。
富をある程度欲する気持ちはわかりますが,魂売っちゃうまで誘惑される危険はあるということを考えないとね。
Commented by さすらい at 2009-09-10 02:30 x
「ハゲタカ」というのはよく言い得ていますね。そして、かなりの一ゎ゜んの人がなけなしの金を使って、FXだとか,儲けになりそうなことに走っています。ベーシックインカムの話ではないですが、たいていの人に生存の阿分があるのでしょう。全員が大もうけできるなどと言うことがあり得ないのはちょっと考えればわかると思うのですが。