A.I.のかなしみ

 なんとも悲しいトーンに支配された映画。愛を乞うロボットは悲しすぎる。
 物語は説明できても悲しみは視覚化するのは難しい。それは観客の想像力、感受性、内面が関わるからだ。『ET』も、思えば着ぐるみとはいえ、そこに温もりが感じられた。
 昔、「私にとって『死』とは水たまりのようなもの。よけて跳びこえるものだ」というようことを言っていたETの時代、スピルバーグは少年みたいに愛された。

 しかしスピルバーグは、このAIで原案に導かれ難しい題材に背伸びをした。今までの映画とは違うペシミスティックなトーン。もともとキューブリックが企画していた物語だ。後半に時が進むに従って『2001年宇宙の旅』をどこか思い出してしまうのはそのせいでもる。

 ロボットたちの孤独とせつなさが余韻に残る。ロボットに感情移入するとしたら、それは彼らの宿命的な孤独のせいだ。ロボット(メカ)に人と同等の感情なんて無理だろうと思うだろうか。しかし、人間(オーガ)にある感情と呼ぶ機能も、よく見つめれば一つのプログラムされた反応であり、機械的な装置に似ていないか。このメカの物語がピノキオのようだからといって、未来にありえない夢物語とも一概に言えない。

 それにしてもワタシ、オーガが想像するのは、人間になりたいと人間のエゴを写しとられたメカとして生きていくのはどれほど孤独かということ。たとえそれが響き高い「愛」であろうと。人間が物理的脳を駆使して知的に知りうる領域の、そんな愛のプログラムだとしたら。それにもましてメカにとって残酷なのは、一度プログラムされた「愛」は、彼らが自主的に放棄できないということ。自ら望んでいながら惰性でそれを疎んじはじめる人間のようには。
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 主演のオスメント少年は、優秀な演技マシーンのように、的確にパーソナルを持ったロボットの存在自体の悲しさを演じている。天才的にもう巧すぎる。好き嫌いは別として。だが、それは適役であり完璧な演技と絶賛もできるものだ。かれの天職、俳優としての高度なプログラムが表現され発揮されたように感じられる。

 自分でほころびをマメに縫うトーイロボットの「テディ」は、愛の渇きを知らないからまだしも幸福かというと、観ていて、かたわらの彼の存在にホッとし、孤独を癒されながらも、そのテディの孤独もが実はなんとも露に感じられる。

 忘れられないものがあるとすれば、破壊される時も微笑みを見せる子守りロボットの表情に、ぼくたちが投影する不思議な想い・・。そして、さらなる二千年後のエピローグの静けさと悲しさ、喜びの刹那と宿命的わかれ。このトーンがこの映画の観るべきすべて。そこにもしかすると徹底して語られる方向はあったのだろうか。それはキューブリックが晩年表現したかったことなのかも知れない。
 ちょっと嫌みをいえば、アメリカは地球温暖化の危機の「話」だけだと広大SFXです。

 監督:スティーブン・スピルバーグ
 出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウ、フランシス・オコナー、ウィリアム・ハート
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by past_light | 2004-11-21 01:33 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

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