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アンドレイ・タルコフスキー
 かなり以前の話になりますが、亡くなった版画家で作家でもあった池田満寿夫が、詩人の西脇順三郎の言葉として紹介していたものがある。
 「批評はそれ自体がポエジーでなくてはならない」
 その言葉が、出逢ってそれ以来ずっとぼくの心に残っている。
 ぼくは、別に批評家だったり、そういう仕事をしている訳ではないので、少し大袈裟なのかも知れないのだが、それはいつもとても本質を指している言葉だと思う。
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 「ポエジー」とはこの場合、「創作、作品」でなくては・・という意味であるとその時理解したし、池田満寿夫もそのように言っていたように思う。

 消費される反応、紹介、解釈も情報としては現在かなり需要があるので、それはそれとしておいといて・・。善い悪いをうんぬんするのは現実的ではないし、またそれが主眼点ではない。

 ただそういうポエジーな記事は、映画のみに関わらずいつまでも通用する記録としても、いつ読んでいても空しさがなくて気持ちがよいという気がする。 故、淀川さんなどは自然にそういう姿勢を持っていたように感じますし、読んでいて心が動くことがよくあったような気がする。

 タルコフスキーが言っていることで興味深いのは、
 「・・映画においては、説明は必要ではないのだ。そうではなく、直接的に感情に作用を及ぼさなくてはならないのだ。こうして呼び覚される感情こそが思考を前進させるのである」という言葉だ。

 タルコフスキーの書いたものを読むと、実に内省的、宗教的な、本物の芸術家の声を聴くような深さと、それゆえの深刻さとを感じる。
 それは時に悲劇的にも思われ、彼の精神の内部に関わるのはとても重苦しいような、敬遠したいような気持ちにも襲われるかも知れない。
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 「ノスタルジア」という映画の語源は、ロシアでは、病に近い望郷の念を言うようで、タルコフスキーによれば「死に至る病」となるようである。
 この映画と「惑星ソラリス」や「ストーカー」、この3本が最も印象にあるのだが・・、そのどれもがその--ノスタルジア--を語っているように思う。

 それは彼の言うように、説明されえない、時にあまりに個人的、内宇宙的な、世界への宗教的な想いであったり、修行僧の懺悔のような告白のようであったりする。

  しかし、この3本は理屈を必要としない強い魅力がある。ぼくは「ストーカー」を観ている間、こんな面白い、ミステリアスな想像力を刺激してくる映画に初めて出逢ったような気がしたものだ。繰り返して観たいものの1本でもある。

 「惑星ソラリス」の悪夢の中で見るような、なつかしい家に帰りたい強い郷愁・・。
 「ノスタルジア」の、観客のこちらまで息苦しくなってくるような緊迫した長い凝視を要求する映像で描かれる、登場人物の世界を救済するという個人的な儀式・・。

 模倣しようとすればきっと恥ずかしくなる、その驚くべき映像の内的必然性から生まれる独自性。
 ・・タルコフスキーを誠実に語るのは容易ではないでしょうね。やはり・・。

 彼の最後の作品の題名が、彼の内面の内へも外へも・・彼の精神の運動のすべてを言い表わしているような気がする。それは「サクリファイス」、犠牲という言葉である。

 タルコフスキーを想うと、・・むかし昔、西洋の厳格な修行僧が同時に求道的な芸術家であったような時代の、そういう時代に存在したかのような、男のシルエットが浮かんでくる。
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by past_light | 2004-11-19 01:57 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(2)
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Commented by acoyo at 2004-11-19 12:02
タルコフスキィというと「水」のイメージなんです。実際に撮る水のイメージだったり、ユングの言う水のイメージだったり。
同居人が好きなんですよ、タルコフスキィ、それとキューブリックって言うのはちょっと直球すぎないかい?とよくいじめますが。
Commented by past_light at 2004-11-20 03:22
水、ですね、水。ストーカーは湿気がすごかった(笑)。
ノスタルジアも負けず劣らず。温泉まで出て来て。
キューブリック、自分でAIつくって死んでほしかったな。
同居人によろしく哀愁。