「はい」、という返事、ドラマ「ありふれた奇跡」

山田さんの例のドラマ、最終回でした。(フジテレビ  ドラマ 「ありふれた奇跡」脚本・山田太一)

期待どおりというか、さわやかにハピーエンド。
ふりかえると、隅々に現代の日常にそっと隠されたかのようなテーマがあやとりのように絡まっている話だ。
設定は現実的なのに、そうとうファンタジックな展開になる、といってもいい話の流れのなかで。

といっても、へたな芝居のような深刻さがないのがいい。
大げさなメッセージはないといってよく、それらは視聴者へバトンタッチされるかのようなもので押付けがない。
登場人物たちそれぞれのように、人はいろいろありでもよくて、たとえば女装を楽しむオヤジさんたちのように、「いくらか隠し事があってよい」という「解決」であってもよいのだ。
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山田さんは、最終回になるとかならずみんなを集めて、気持を分ち合うかのシーンがある。見る人によっては、虫のよい纏め方にも感じるかも知れない。
それは山田さんが、ほんとうにやさしい、ということなんだろうなと思う。
登場してくれた人物にたいする眼差し、そして見届ける視聴者の、たぶん眼差しを信頼しているためでもあるだろうか。

リアル、あるいはドラマチックということに拘れば、きっともっと別の選択もある。若年層を念頭に置くような衝撃的な展開だってもっと作りえるだろう。しかし、「リアル」「現実」とはなんだろうか、と思わせてくれるような、山田太一の特色というものがそこにある。

それがたぶん、この人の脚本を好きじゃないというだろう人の、ツボにハマる台詞の、その特徴的なやりとりのなかにあるのかもしれない。それは今回は非常に挑戦的にさえ感じられるほど。

山田さんの、しつこいと思われてもいい、とでも決意したかのような台詞の数々に、きっとこれは譲れなかったものなんだというように感じる。

役者が話す、聴いている相手はかならず「はい」、あるいは「うん」と相づちを打つ。ふたりで聴いているとしたら、どちらかが「ハイ」と言い、交代で言うことも多い。複数、何人かでの場面では、誰かがかならず「ハイ」と返事する。
そうやって、話している人は安心して話を続けられる。

このドラマでは、そういう「聴く」という姿、目の前の相手にちゃんと向合う。という人の姿がある。
それは言ってみれば現代のぼくら日常のなかで、登場人物たちその対話の場面が、たとえば「ファンタジー」と映ってしまうかのような、そんな現代社会に生きているのか、、、という自省の念さえにつながる。
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by past_light | 2009-03-20 01:22 | ■主に映画の話題 | Trackback | Comments(0)

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