2004年 11月 18日
「ピロスマニ」グルジア映画1969年-日本公開1978年
しかし、この映画も貴重なことに以前、パラジャーノフの映画などとともに、「グルジア映画特集」の一本としてBS-NHKで紹介されたことがあった。
グルジア共和国で生まれ、無名のままに60年の生涯を閉じた、独学の放浪画家「ニコ・ピロスマニ(1862~1918)」の寡黙な生涯を描いた、旧ソビエト時代のグルジア映画である。
ピロスマニの絵はグルジアの風土、民族の暮らし、グルジアの魂を色濃く感じさせてくる素朴な画風だ。彼の国では「ピロスマニを見ることは、グルジアを信じることである」と今では言われている。彼とその絵は、そんな「グルジアの民族性を普遍化するシンボル」になっているという。
映画「ピロスマニ」は、1969年・グルジア フィルム製作で、日本での上映は1978年、同じ年に巷では最初の「スターウォーズ」や、スピルバーグの「未知との遭遇」、ウディ・アレンの「アニー・ホール」などがあった。
そのアメリカ映画が大作をヒットさせはじめた時代のなかで、反対側の大陸にあるグルジアという国の、映画「ピロスマニ」の静かな語り、そしてピロスマニを演じた職業俳優ではない画家のすばらしさ、それらはひときわ胸に沁みてくる印象があった。(誤解がないように付け加えると、この年のアメリカ映画もちゃんと観てます)
この映画のパンフレットは今も手許にある。しかも、当時の新聞記事の広告や茶色に変色した紹介の切り抜きまでが挟んである。
その一枚には、1978年9月8日付の朝日の広告、9月15日からの上映の知らせに寄せての、今は亡き岡本太郎氏の推薦文がある。
「胸にジーンとくる映画だ。純粋な芸術家の運命とはこういうものだ。」
ああ、そうだった、ぼくはこの記事に促されて、神田神保町に今も在る「岩波ホール」へと出かけていったのだった。
主人公の画家ピロスマニの人生、それは無欲で素朴、そして朴訥(かざりけがなく話し下手)・・。今となると日本で言えば放浪の僧、山頭火をふと思い浮かべそうだが、それよりも真実に近いのは、グルジアに持って生まれた民族的な自然児としての素朴、そんなもともとの資質が導いた人生ではないかと思う。映画に描かれた「ピロスマニ」とは、自己主張とは全く無縁な人物だった。
記憶する、それを象徴するようなエピソードのひとつに、友人と「チーズやミルクの店」を始めるのだが、商売人資質とはとうてい隔たったピロスマニの対応に、すぐに友人は去ってしまう。
彼がひとりで店番をしていると、やがて次々と貧しい親子が店の戸口に立ち、ついにピロスマニはただでくれてしまうのだった。
その後、酒場や食堂の壁に頼まれるままに絵を描き、酒と食事を報酬としての放浪暮らし。 また、彼の意図と関わらず、いっとき好運のように中央画壇に認められかけるが、彼の絵は「基礎ができていない」という批判にさらされる。
それにたいしてのピロスマニの応えは、「俺が何を求めた? 俺は何も変わらん。今までどおりやる。」だった。
そんなピロスマニは、いっぷう変わった無口な看板絵描きとして人々に重宝がられたり、愛されたりもする。
そんなエピソードの数々がピロスマニの絵とともに紹介されていくのだが、映画は、劇場に立つ踊子マルガリータの絵などを筆頭に、絵と、映像として映される構図、画面が、一瞬見分けがつかないほどのみごとなスタイルの、それは静謐な映像詩でもある。
やがていつか、白髪まじりのニコ・ピロスマニ・・。知り合いの酒場の主人に、復活祭のための絵を頼まれる。
ピロスマニは「もう描けんよ。手がいうことをきかん」と言うが、「仕上げるまでは出さん」と倉庫のような部屋に監禁されてしまう。・・・
復活祭を祝う人々、「そうだ、ニコラのことを忘れていたぞ !」。あわてて鍵を開けた部屋には、戸口で待つニコラと、出来上がった大きくてみごとなグルジアの町と河の風景の絵があった。
「ニコラ !」と呼び止める声がするが、片手をあげだけで振り向きもせず彼は無言で立ち去る。よろめく足取りでたどり着いた場所は、町にある階段の空間の下を小屋にしたみすぼらしい住まいだ。
翌朝、酒場の主人が馬車を戸口に止める。「ニコ」と呼ぶが返事がない。ドアを開けると死んだように寝ているピロスマニがいる。
「なにしてるんだ」
「死ぬところさ」
「ばかなことを言うな、復活祭だぞ、起きろ」 ・・彼を乗せた馬車は石畳の上を走り去る。
この映画のラストシーンは、悲劇を叫ぶでもなく、ことさら劇的にも描かず、胸に沁みてとても好きな終わり方だった。
◇追記・・読み直して、ピロスマニという人物が、強靱な精神力とか、または外界に対して反応の鈍さがある、というような誤解を招きそうにも思ったので、付け加えておかなくてはならない。
実は、映画の冒頭から、非常に傷つきやすい、繊細な心の持ち主だったのだということがわかるエピソードがあるし、彼の絵を賞賛する人に逢った時は、とても喜んでいる。また、「基礎がなっていない」などという嘲笑や戯画された新聞記事に、非常に傷ついている。そんなところも彼の素朴な人柄の魅力として、映画では描かれて伝わってくる。彼の夢は「木の家に住む」というシンプルだが、彼の心の奥から聴こえるようなものだった。
◇のちに、小栗康平監督も敬愛する作品だと知ったが、小栗さんの映画を観れば、よくわかる話だ。
◇忘れがたい映画とは、こういう淡々と静かに描かれた映画である事が多いのは、ぼくにとって事実である。
◇美術監督であったアフタンジル・ワラジが「ピロスマニ」を演じたこの映画は、これが最初で最後の映画出演だった。その後1977年に亡くなっている。
◇独立したピロスマニ展が日本で開かれたのは1986年5月、東京は西武美術館だった。50点ほどが展示されて、ぼくも初めてピロスマニの実物を見た。それは当時のグルジアの町の匂いが染み付いたような、酒場の煙りと雨風をくぐり抜けて来たような、独特な存在感だった。
◇ピロスマニのギャラリーを捜してみて見つけたページです。スキャニングの画質はよくないですが(笑)、いくつかの絵の画像があります。→">「The Three Marias Home Page」
※(初出記述日 2003年1月31日)
※(先日あるブロクで、ここの文章から自分の感想記事として何行かをそのまま引用しているところがありました。そのままはないだろう!!と思うよ)
◇ПИРОСМАНИ ピロスマニ (カラー・87分)
製作/ グルジアフィルム 1969年 ○監督/ ゲオルギー・シェンゲラーヤ ○美術/ 主演 アフタンジル・ワラジ
(1974年シカゴ国際映画祭ゴールデン・ヒューゴ賞 / アゾロ国際映画祭最優秀伝記映画賞 / 1978年キネマ旬報ベストテン4位 / 1979年芸術祭優秀賞)
by past_light
| 2004-11-18 14:30
| ■主に映画の話題
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